ゴルバチョフ元大統領死去 ~「ソ連崩壊」のロシア国民の無念さが「プーチン大統領」を生み「ウクライナ侵攻」につながった

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数量政策学者の高橋洋一と、東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠が8月31日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。8月30日に亡くなったゴルバチョフ元ソ連大統領について解説した。

ゴルバチョフ元大統領死去 ~「ソ連崩壊」のロシア国民の無念さが「プーチン大統領」を生み「ウクライナ侵攻」につながった

明治大学名誉博士学位が贈呈され、基調講演をするゴルバチョフ・元ソ連大統領=2009年12月10日午後、東京都千代田区・明治大学 写真提供:産経新聞社

ゴルバチョフ元大統領の死でソ連の指導経験者は全員いなくなった

タス通信によると、旧ソ連末期に硬直した共産党独裁体制を立て直す「ペレストロイカ」を推進、東西冷戦を終結に導きノーベル平和賞も受賞したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が8月30日に亡くなった。91歳だった。

飯田)小泉さんは私とほぼ同世代で、80年代前半の生まれです。ゴルバチョフさんのことは子どものころにテレビで観ていましたけれども、時代が1つ終わった感じですかね。

小泉)私がソ連に初めて触れたのは、ゴルバチョフ大統領が訪日したときなのです。彼は91年8月にクーデターを起こされて、権力がほとんど失墜したなかで最後の訪日を果たすのです。その様子をテレビで観ていて、小学校2年生か3年生くらいでしたので、漢字とカタカナがあるということはわかるわけです。そのときに「なぜ、この国は漢字とカタカナが混ざっているの? ソ連って何?」と父親に質問したら、「ソビエト連邦の略なんだよ」と教えてもらったのが、生でソ連を認識したおそらく最初で最後の記憶です。

飯田)ゴルバチョフ大統領訪日のとき。

小泉)ソ連の末期の末期になって、やっとそういう国があるのだと認識したら、崩壊してなくなってしまった。そのあとも「かつてソ連という国があったのですけれども」という語り方をしてきたのですが、これでいよいよソ連の指導経験者は全員亡くなったわけです。

2022年はソ連建国100周年 ~100年経ち、最後の指導者が亡くなる

小泉)彼と一緒にペレストロイカを進めたヤコブレフさんなどの仲間たちも、多くが鬼籍に入られています。ソ連崩壊から31年が経ち、「遠くに行ったな」という感じですね。

飯田)31年経って。

小泉)今年(2022年)は1922年のソ連建国から100周年でもあります。1917年に革命がありましたが、そこから5年間の激しい内戦の末にソ連はできたのです。まさにソ連という企てから100年経ったところで、最後の指導者が亡くなった。何かのめぐり合わせでしょうか。

ソ連の崩壊でそれまでの経済などに関するデータがすべて消えてしまった ~崩壊によって共産主義の研究者もいなくなった

飯田)世代的に高橋さんは、ソ連というものを間近に見ながら……。

高橋)ソ連崩壊には驚きました。経済の話をすると、崩壊したことでソ連の経済の歴史はほとんどなくなってしまったのです。崩壊まで70年くらい噓をつきまくったデータがあったのだけれど、あの日を境に一気になくなってしまった。

飯田)崩壊によって。

高橋)データがないから、ソ連は経済の話を考えると存在していないのです。当時、ソ連を信仰していた人は大変でしたね。基盤がなくなってしまったでしょう。それが崩壊から30年経って、ようやくすっきりしたという感じもするけれど。

飯田)データがなくなったというのは、ソ連が崩壊して全部焼却されてしまったということですか?

高橋)全部嘘だったということです。全部嘘だったから、それまで言っていたデータ集などが全部消えてしまった。いままで「ソ連はこうだ」と言っていた人たちは立場がないですよね。根っこが消えてしまったわけですから。そういうことを覚えています。

飯田)データがすべて消えてしまった。

高橋)あのときに共産主義のことを一生懸命言っていた人たちも混乱しましたよね。私の印象では、多くの人は環境方面などに流れていきました。共産主義の研究者もいなくなってしまった。そういう思い出です。それが今回のことで、区切りになった気がします。

ロシア国内ではソ連時代の総括はし切れていない ~ソ連のなかの白人支配層が密約で解体を決めた

飯田)ゴルバチョフさんが亡くなり、ソ連時代の総括に関して、ロシア国内ではどのように見られているのですか?

小泉)総括し切れていないのではないでしょうか。ソ連がなくなってしまったのは、もちろん政治的に現実ではあるのだけれども、大日本帝国がなくなったときのように、軍事的に破局を迎えたわけではないですよね。

飯田)軍事的な破局を迎えたのではない。

小泉)なくなる過程に関しても、崩壊したというよりはソ連内部のロシア側、ウクライナ側やベラルーシ側、要するに白人支配層が密約で解体を決めたのです。

飯田)白人の支配層が密約で。

小泉)白人が巨大な帝国を受け継いでつくったソ連を、また白人同士で話し合い、勝手になくしてしまったという冷めた感覚もあります。

ゴルバチョフ元大統領死去 ~「ソ連崩壊」のロシア国民の無念さが「プーチン大統領」を生み「ウクライナ侵攻」につながった

対ドイツ戦勝記念日の式典に出席したロシアのプーチン大統領(中央)=2022年5月9日、モスクワ(タス=共同) 写真提供:共同通信社

ソ連崩壊によってアメリカとの冷戦に負けた形になり、30年間面白くない思いを続けてきたロシア国民 ~そこから誕生したプーチン大統領がウクライナとの戦争を始めた100年目の節目

小泉)ソ連がなくなった少しあとに、フランシス・フクヤマさんというアメリカの政治学者が、「共産主義という近代の在り方は失敗したのである。ナチズムはその前に負けているから、アメリカのような自由民主主義しかないのだ」というような、アメリカ陣営の冷戦勝利宣言とも取れる『歴史の終わり』と言う本を書いたのです。そういう感覚に対して、ロシア人はずっと面白くないものを感じてきたわけです。

飯田)ロシア人は。

小泉)「我々はアメリカとの冷戦に負けたわけではなく、終わらせただけだ。たまたまそこに国家崩壊が重なっただけなのに、敗北したような扱いを受けていて許せない」という気持ちがずっとあったし、ソ連崩壊で同じルーシ民族がバラバラになってしまったことも、民族主義的に面白くなかった。

飯田)ソ連崩壊によって。

小泉)この30年間、面白くない感情を抱え続けてきたロシア社会がプーチン大統領を生み、プーチン大統領が今回の戦争を始めてしまった。その意味でも、「ソ連建国から100年の節目でこういうことが起きた」というのは単に象徴的でもあり、ある意味では必然だったのかも知れません。

西側の政治家と比べると、強権的でソ連的な秘密主義から抜け出せなかったゴルバチョフ氏

飯田)調べてみると、ゴルバチョフ氏自身もクリミアの話に関しては「併合したかった」というようなことを言って、出入り禁止になっていたようです。ゴルバチョフ氏の考え方は「自由主義、開明的」というイメージが日本国内ではあるけれど、ロシア人的な共通意識のようなものもあったのですか?

小泉)ゴルバチョフ氏は、当時のソ連では非常にリベラルだったけれども、いまの西側基準の政治家と比べると相当強権的なところや、ソ連的な秘密主義から抜け出せないところもありました。

クリミアはロシア人にとって特別な「軍事的栄光の地」

小泉)彼は大統領にはなったけれども、1度も国民による直接選挙をやっていないのです。最後までソ連の政治家として国民の信を問うことができなかったのだと思います。ソ連的な限界も抱えていた。また、クリミアはソ連ということを超えて、「ロシア人の軍事的栄光の地である」という感覚があります。何としても取り戻さなければいけないという感覚は、リベラルな人でも思っていることです。捕まっているナワリヌイさんでさえ、それは言うのです。

飯田)そうなのですか。

小泉)ナワリヌイさんでさえ、「クリミアは返さん」と言います。さらに言うとゴルバチョフさんは、91年8月のクーデターで監禁されていた場所もクリミアでしたから、彼にとって個人的な思い入れもいろいろあるのでしょう。そういう意味では、ゴルバチョフさんもリベラルではあるのだけれど、完全に我々西側世界の人間と同じだったかと言うと、もちろんそうではなく、やはりロシア人でもあったということです。

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