臨時災害放送局「FM796フェニックス」でアナウンサーとしてパーソナリティを務めていた臼杵良祐氏が1月17日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。阪神・淡路大震災当時の放送について語った。
阪神・淡路大震災から28年
1995年に発生し、6434人が犠牲となった阪神・淡路大震災から1月17日で28年を迎えた。神戸市中央区の東遊園地では、地震発生時刻である午前5時46分に合わせて追悼式典「1.17のつどい」が行われた。
阪神・淡路大震災後の2月15日に開局した臨時災害放送局「FM796フェニックス」
飯田)阪神・淡路大震災の際、兵庫で開局された臨時災害放送局「FM796フェニックス」についてですが、震災から1ヵ月も経たないくらいで立ち上がったのですよね?
臼杵)日本初の臨時災害放送局でして、被災者にラジオで情報を届けるために、兵庫県が免許を申請して開局したのです。
飯田)どこから放送されていたのですか?
臼杵)兵庫県庁2階の一画にスタジオを設営して開局しました。後半は県庁の地下に倉庫のようなところがあって、そこが広かったのでスタジオを移して放送していました。
2月15日から3月いっぱいまで放送
飯田)2月15日に開局されたのですか?
臼杵)そうです。
飯田)いつごろまでやっていらしたのでしょうか?
臼杵)3月いっぱいまでです。
飯田)そうすると、1ヵ月半くらいですね。
臼杵)そうです。
被災地をカバーするエリアで放送
飯田)放送は何時間くらいだったのですか?
臼杵)正午から夜8時までです。8時間という限定的な時間でしたが、それでも最初のころは、ほとんどが生放送だったので、バタバタするなかでお送りしていた記憶がありますね。
飯田)放送していたエリアはどの辺りになりますか?
臼杵)被災地の神戸、尼崎、西宮、明石などの地域と、震源地の1つである淡路島もカバーしてお送りしていました。
第一声を担当したのは臼杵アナウンサー
飯田)立ち上がりの第一声を臼杵さんが担当されたのですよね?
臼杵)そうです。とりあえず放送しなければならないので、時間がなくてスタジオすらできていない状況だったのですが、「とりあえずこれをやってくれ」と言われて放送しました。私もまだ20代だったもので、いま考えると声が震えていたと思います。
どう読んだ方がリスナーに伝わるか ~「代替(だいたい)バス」と「代替(だいがえ)バス」
飯田)ご苦労された点がさまざまあったのではないですか?
臼杵)苦労ということでもないのですけれど、扱う言葉に関してこういうことがありました。道路があちこち陥没しているために、神戸を走るバスが時間通りに走れないということで、代わりのバス、代替バスを運行したのですが、「代替(だいたい)バス」という原稿がたくさん回ってくるのですよ。この時間に走りますよというものが。私も若いので、正しい読み方である「“だいたい”バス」と読んでいたのですが、ディレクターが「“だいがえ”と読め」と言うのです。
飯田)なるほど。「だいたい」だと、聞いた感じがわからないから。
臼杵)そうなのですよ。私も短いながらアナウンサーをやっていたので、「そういう教育は受けていません。“だいたい”と読ませてください」と生意気にも抗議したところ、「うちはそういう局ではないんだ、わかりやすいものが優先だ!」と怒られました。
飯田)「どう読んだら伝わるか」という、放送の原点のようなものを感じさせられますね。
臼杵)そうですね。いま思うと当時、そう言ってもらえて本当によかったと思います。
裏が取れない情報もリスナーを信じて放送 ~被災者の皆さんに情報を届けることが最優先
飯田)いろいろな情報が入ってきますし、1つひとつの情報の裏取りがどこまでできるかというところで、現場で悩む部分があると思います。東日本大震災のとき、ラジオ福島さんなども「リスナーを信じる。この人たちは自分たちを絶対に騙さないと思う」と言って、「こういうことがあるようです」と放送していたと聞きましたが、情報の取捨選択はどうされていたのですか?
臼杵)同じ状況でした。やはり裏が取れないものがほとんどでしたので、情報提供してくれた方を信じて、「ここでこういうことがあった」とお伝えしていたように思います。
飯田)「デマを飛ばさないように放送する」のは大事なことだと思いますけれど、そこは日ごろのつながりなどの部分もあるのでしょうか?
臼杵)「信頼できるこの方が言うから大丈夫だ」とか、例えば行政の方や紹介してもらった公民館の館長がおっしゃることならデマではないだろうと、放送させてもらっていた記憶があります。本当は裏を取った方がいいのですけれどね。
飯田)いまのようにスマホがあり、ネットがあるわけではないですからね。
臼杵)インターネットや携帯もほとんど浸透していないころで、情報が足りないため、とにかく「一刻でも早く情報を被災者の皆さんにお届けすることが最優先だ」と言われていました。
飯田)28年が経って、当時生まれた子たちも「子たち」とは言えない年齢になり、30歳近くになってきています。ここから先、どのようにバトンをつないでいくのかは難しい問題かも知れませんね。
臼杵)「こういうことがあった。だから備えなければいけないよ」ということもつなぎたいですし、街をどうつくっていくのか考えたり、生まれ変わった街をもっとよりよくして欲しいです。できれば震災に備えるような街にして欲しいという思いをつないでいきたいと、個人的には思います。
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