昭和からルノー傘下、そして「100年に一度の大変革」の時代……日産グループの変遷

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「報道部畑中デスクの独り言」(第336回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、日産グループの変遷について---

横浜市の日産自動車本社

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お盆休み、皆さまいかがお過ごしでしょうか? かつての自動車業界はお盆休みが終わると、「秋の商戦」とばかりに各社から一斉に新型車が発表され、新聞広告が自動車関連で埋め尽くされ、ワクワクしたことを思い出します。

テレビ東京では毎週土曜日午後9時に『出没!アド街ック天国』という番組が放送されています。1995年から始まった長寿番組ですが、この番組は一貫して日産自動車が提供しています。

いまは日産を含む複数提供ですが、これに先立つ1970年~1980年代半ばまで、日産一社提供による時代劇『大江戸捜査網』が放送されていました。当時の日産の広報部長が「土曜夜に時代劇が見たい」という意向で始まったという“都市伝説”が知られていますが、真偽のほどは定かではありません。

「隠密同心心得の条」「死して屍拾うものなし」の名口上で知られる大江戸捜査網は、私も大好きで見ていました(余談ですが、出身の岐阜では違う放送時間でした)。ただ、クルマ好きだった私にとっては番組の内容もさることながら、提供スポンサーである日産のCMも見どころでした。

新型車が出るといち早く映し出されたCMも楽しみでしたが、グループ各社がロールアップするCMも注目でした。どんなクルマの情報も見逃すまいと、その各社を速攻でメモしていました。家にはビデオデッキなどなかった時代です。

新体制になって2020年7月、ロゴが刷新された (左が旧ロゴ、右が新ロゴ)

新体制になって2020年7月、ロゴが刷新された (左が旧ロゴ、右が新ロゴ)

日産ディーゼル、日産車体、日産プリンス自動車販売、日本ラヂヱーター、愛知機械工業、厚木自動車部品、関東精器、日産自動車販売、横浜輸送、桐生機械、土屋製作所、日産工機、日本電子機器、リズム自動車部品、日産観光サービス、日産信用保証、日産自動車……人とクルマの明日を目指す技術の日産グループ。

もちろん、当時のグループ企業の数はこんなものではないのですが、CMでは上記の企業が“代表”する形で名を連ねていました。あれからほぼ半世紀近く、各社の姿は一部を除いて大きく変わりました。

特に、ルノーとの資本提携後は「日産リバイバルプラン」により、系列解体を断行。いわゆる「ゴーン・ショック」で多くの企業がグループを離脱し、それぞれの道を歩んでいます。その後どうなったのか……小欄ではその各社の動きを、企業HPなどを基に改めてたどっていきます。

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★日産ディーゼル(現・UDトラックス)
1935年に設立された日本デイゼル工業が源流。その後、鐘淵デイゼル工業、民生デイゼル工業から日産グループ入り、1960年に日産ディーゼル工業に。2007年にグループ離脱してUDトラックスとなり、ボルボの傘下に。2020年にはいすゞ自動車の傘下になる。

★日産車体
1937年創立の日本航空工業を母体とする。日本国際航空工業、新日国工業などを経て1951年に日産グループ入り。現在も商用車、MPVなどを生産するグループの中核企業。

★日産プリンス自動車販売
旧プリンス自動車工業の販売部門だったが、1966年の日産・プリンス合併後も存続。1986年に日産自動車販売と統合。合併から販売部門の統合まで20年の月日を有したあたり、企業合併の難しさを痛感する。

★日本ラヂヱーター(現・マレリ)
1938年創立。1988年にカルソニックに社名変更後、2000年にカンセイと合併してカルソニックカンセイに。長らく日産グループの中核を担い、日産の工場内にモジュール専用ブースも設けられていた。2017年、中国の投資ファンドCKホールディングスに日産の保有株が売却され、グループを離脱。2018年、当時のフィアット・クライスラーの自動車部品部門、マニエッティ・マレリを買収。2019年にマレリとなるが、2022年に東京地裁に民事再生法の適用を申請し、経営破たん。現在、経営再建中。

★愛知機械工業
1898年設立の愛知時計製造から航空機部門が分離した愛知航空機が前身。1952年、愛知機械工業に社名変更。かつてはコニーブランドで軽自動車も製造していたが、1965年に日産自動車と業務提携。小型車のエンジン、車両生産などを経て、現在は変速機、エンジンなどの基幹部品製造を担う。

★厚木自動車部品(現・日立Astemo)
日産自動車厚木工場が分社して1956年設立。1989年、アツギユニシアに社名変更後、1993年に日本電子機器と合併、ユニシアジェックスに。グループ離脱後は日立製作所による完全子会社化で日立ユニシアオートモティブとなる。日立による合併、分社化の後、ケーヒン、ショーワ、日信工業と合併し、2021年に日立Astemoに。

★関東精器(現・マレリ)
1956年設立。1991年にカンセイに社名変更後、2000年にカルソニックと合併、カルソニックカンセイに。日産リバイバルプラン後も長らく日産グループの中核を担ったが、2017年、中国の投資ファンドCKホールディングスに日産の保有株が売却され、グループを離脱。2018年、当時のフィアット・クライスラーの自動車部品部門、マニエッティ・マレリを買収。2019年にマレリとなるが、2022年に東京地裁に民事再生法の適用を申請し、経営破たん。現在、経営再建中。

★日産自動車販売……日産自動車の販売部門。

日産グループの中核を担う日産車体本社(2020年3月撮影)

日産グループの中核を担う日産車体本社(2020年3月撮影)

★横浜輸送(現・ロジスティード)
1954年設立、日産自動車の子会社として長年にわたり、日産グループの物流を担当していたが、1990年にヨコユバンテック、1997年にバンテックと社名変更を経て、2001年、日産から独立。日立系、東急系の物流部門と統合の末、現在はロジスティード(旧日立物流)の傘下に。

★桐生機械(現・キリウ)
1906年、織物準備機械の製造・販売として創業。1960年に旧プリンス自動車工業系の工作機械メーカーとなるが、1966年の日産・プリンス合併を機に日産グループ入り。2001年にキリウに社名変更し、日産から独立。現在も日産とは取引関係にある。

★土屋製作所(現・マーレジャパン)
1912年に土屋芳太が開業。企業としては1945年設立。エアクリーナなどの自動車部品を日産に供給。1996年にテネックスに社名変更。2001年日産から独立。マーレテネックス、マーレフィルターシステムズを経て現在に至る。産業用フィルター部門は日本フィルトレーショングループへ。

★日産工機
戦前のオオタ自動車工業と日本内燃機を源流に持つ。戦後は日本自動車工業、東急くろがね工業、東急機関工業と社名変更し、くろがねブランドの三輪トラックも製造していた。1964年に日産と業務提携。1970年、株主から東急グループが離脱。日産の完全子会社になり、1971年に日産工機に社名変更。

★日本電子機器(現・日立Astemo)
1973年設立、1993年にアツギユニシアと合併し、ユニシアジェックスに。グループ離脱後は日立製作所による完全子会社化で日立ユニシアオートモティブとなる。日立による合併、分社化の後、ケーヒン、ショーワ、日信工業と合併し、2021年に日立Astemoに。

★リズム自動車部品(現・THKリズム)
中島飛行機浜松製作所を源流に持つ。戦後、富士産業浜松工場を経て、旧プリンス自動車工業の部品を生産。その後、分離独立して1961年にリズムフレンド製造に。1966年、日産・プリンスの合併により日産グループ入り。1967年にリズム自動車部品製造に社名変更。1991年にリズムとなり、2002年に日産グループを離脱。機械メーカー、THKの連結子会社になり、THKリズムに社名変更。現在に至る。

★日産観光サービス(現・日産カーレンタルソリューション)
1963年設立の日産箱根サービスセンターが源流。1964年に日産観光サービスに社名変更し、後にレンタカー・カーリース事業を開始。1988年に日産カーリースへ社名変更後、2000年に日産クレジット、日産カーライフネットワークと統合、日産フィナンシャルサービスに。2008年にはレンタカー部門を分離し、日産カーレンタルソリューションを設立。

★日産信用保証(現・日産フィナンシャルサービス)
1963年設立。1979年に日産クレジットの社名変更後、日産観光サービス、日産カーライフネットワークと統合し、日産フィナンシャルサービスに。

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日産車体湘南工場

日産車体湘南工場

「100年に一度の大変革」と言われて久しいですが、大変革の前から日産グループはこのように目まぐるしい変貌を遂げていました。上記の企業で現在もCM当時の社名を維持しているのは3社しかありません。改めて諸行無常の思いを強くします。

日産とルノー両社の資本関係も今年(2023年)に入って見直され、対等となりました。今回は日産グループを例に挙げましたが、日産のみならず、今後、電動化への移行、知能化の推進により、離合集散、業態変更を余儀なくされる企業もさらに出てくるでしょう。

550万人に関わっていると言われる日本の自動車業界は、今後どんな変革を遂げていくのか、広い裾野の世界がどうなっていくのか……注目したいと思います。(了)

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