「ナポリピッツァ」の店を開業する際に考えた、いまでこそ当たり前になっている「ある演出」 SALVATORE CUOMO INTERNATIONAL 代表取締役会長・サルヴァトーレ・クオモ
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黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」(11月8日放送)に株式会社 SALVATORE CUOMO INTERNATIONAL 代表取締役会長のサルヴァトーレ・クオモが出演。「ナポリピッツァ」について語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「黒木瞳のあさナビ」。11月6日(月)~11月10日(金)のゲストは株式会社 SALVATORE CUOMO INTERNATIONAL 代表取締役会長のサルヴァトーレ・クオモ。3日目は、最初に開業した東京・中目黒の店舗について---
黒木)クオモさんは日本で生まれて、その後ナポリに行かれたということですが、お父さまが日本でお店を出していらしたのですよね?
クオモ)父親が開いたお店は上手くいったわけではありませんでした。彼は料理人として、本物のナポリ料理を出したと思います。しかし、当時の日本ではアメリカのピッツァがメインで、ナポリピッツァは見向きもされませんでした。「これは違うものだ」という言い方をされてしまったのです。
黒木)本場のピッツァなのに。
クオモ)私が中目黒に店をオープンしたとき、初めてナポリピッツァの薪釜をつくりました。ナポリのシンボルでもあるし、父親の思いもあったので、薪釜を置いて本格的にやろうと思ったのです。ところがオープン時に評論家の方が来て、「これは上手くいって3ヵ月だな」と言われました。しかし、やるしかなかったのです。
黒木)上手くいって3ヵ月だと。
クオモ)そのときに考えたのは、「フィクションの世界を多少つくった方がいいのではないか」ということです。ただピッツァを食べるだけではなく、スタッフに「ボナセーラ」、「ボンジョルノ」などのキーワードを使ってもらい、「イタリアに来た」と思わせるような演出をするのです。桜の時期になると、桜並木に面した川沿いのテラスを開け、ウェイターのイタリアの人たちと一緒に我々も騒ぐ。そうするとお客さんは、「違う空間にいるな」という感覚になります。そういう演出をして、「この人たちは本当のイタリア人なのだな」と思わせるところから入ったのです。
黒木)イタリアに来ているかのように思わせる。
クオモ)「イタリア人なのだな」とお客様が思った次の段階として、料理を出します。そのころはテレビ番組『料理の鉄人』に出演させていただくこともあり、少しずつ知られるようになりました。「こんなピザがあるんだ」と言う人がいれば、「ピザではなく、ピッツァなのですよ」というところから説明させていただきました。
黒木)クオモさんは11歳で料理の道に入られたそうですが、少し早いですよね。
クオモ)早いですね。小さいころから、おばあちゃんが料理をつくっているのをずっと見ていたのです。そこから、おじさんのレストランで勉強を始めました。18歳のときに父親が亡くなり、いろいろな道を選ぶことはできたのですが、私は「この道で行こう」と決意しました。
黒木)それで料理人をセレクトして、料理学校に入られたのですね。
クオモ)もう1人の弟と一緒に、北イタリアの専門学校に行かせていただきました。
サルヴァトーレ・クオモ/株式会社 SALVATORE CUOMO INTERNATIONAL 代表取締役会長
■1972年生まれ。東京で生まれ、すぐにイタリア・ナポリへ。
■料理人だった父の影響で、11歳のときに料理の道を志し、伯父のレストランに入門。その後、父が日本で開いたお店を手伝うために、来日。以来、日本とイタリアを行き来して修業を重ねる。
■1995年に東京・中目黒で店舗を開業。
■父から学び、受け継いだ本場ナポリの味「ナポリピッツァ」を日本で一躍有名にした功労者で、現在は「PIZZA SALVATORE CUOMO」をはじめ、本格イタリア料理レストランなどを手がける。これまでに国内外250店舗以上をプロデュースしてきた。
■2006年にはイタリア政府公認の「真のナポリピッツァ協会」が主催するナポリピッツァ世界最高峰の大会「PIZZA FEST」で、ピッツァ・サルヴァトーレ・クオモチームが最優秀賞を受賞している。
■2021年より大分県日田市にも拠点を構えている。
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳