それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
『青森の温泉めぐり』というガイドブックがあります。出版社は青森市にある有限会社「グラフ青森」。本州最北端の出版社です。
「グラフ青森」の社長は、下池康一さん・73歳。農業関連の出版社「農文協」に就職、九州支部に赴任。農家を回って取材し、本社に原稿を送る仕事を続けていました。
しかし、故郷を離れて10年目に「青森へ帰りたいなぁ」と郷愁に誘われ、退職。当時28歳だった下池さんは福岡から、何と50ccのスーパーカブに乗って青森へ帰ったそうです。「まだ若かったからね。無茶ができましたよ」と笑います。
ふるさとに帰り、さっそく職安で仕事を探すと、月刊誌の編集者募集を見つけます。「青森に出版社があるんだ!」と早速、面接を受けに行ったところ、そこは病院でした。つまり、お医者さんが趣味で地域向けの月刊誌を発行していたのです。
下池さんはそこで編集者として働きますが、「このままでいいのか」と不安が募ります。青森の魅力をもっと出せるような、本格的な出版社を起こしたい……そう思った下池さんは月刊誌を引き継ぎ、独立を決意します。有限会社「グラフ青森」を設立したのは、30歳のころでした。
会社といっても、当時は社員1人と下池さん、2名からのスタートでした。毎日のように青森県内を駆けずり回って取材していたある夏の日……汗だくになった下池さんは、近くの温泉に立ち寄ります。
ひとっ風呂浴び、休憩所で休んでいると、お風呂上がりのおばちゃんたちが、お弁当を広げて賑やかにおしゃべりをしていました。
「そこのお兄ちゃん! あんたもこっちさ来て、一緒に食べねが? おかずもあるはんで、遠慮しねで、さ、さ!」
一緒におにぎりを食べて「ああ、この雰囲気いいなぁ」と思った下池さん。その際、村での交流の場が減り、「いまは温泉施設がその役割を果たしているのだ」と気付いたそうです。
まだ「温泉ブーム」が起こる前……40年以上も前の話です。当時の下池さんは、温泉に全く興味がありませんでした。そのおばちゃんたちと出会ってから「青森の温泉を本にしてみよう」と思い立ち、県内の温泉を取材するようになります。
当時、青森は源泉数が全国4位。魅力的な温泉がたくさんありました。いまから35年前の昭和63年に初めて温泉の本を出すと、5000部が完売。さらに2度重版して、トータル1万5000部に達しました。
一方、屋台骨の月刊誌「グラフ青森」は部数が伸びず返品の山……。税理士さんから「このままではやっていけませんよ。もうバンザイしたら?」と破産を勧められるほど、赤字経営が続きました。
月末になると、印刷所から支払いの電話が事務所にかかってくるので、下池さんは車のなかで原稿を書いていたこともあったそうです。そこで下池さんは、月刊誌「グラフ青森」の誌面を一新させます。
雑誌名を「青森の暮らし」と改め、「ラーメン特集」など流行に流されず、地道に青森を取材。丁寧に記事を書くことを心がけました。すると県民だけでなく、全国の青森出身者が定期購読してくれて部数が伸び、やっと経営を立て直せました。いまでは社員5人を抱える出版社に成長しています。
さて、温泉をテーマにした書籍は、今回の『青森の温泉めぐり』で4冊目。9年ぶりの発行で、最多となる79ヵ所の温泉を紹介しています。下池さんの話によると、コロナ禍や燃料費高騰、後継者不足で、1年に5軒ペースで青森県の温泉施設が減っているそうです。
これをどうにか食い止めたい。そして青森の温泉をもっと知ってもらいたいと、本の企画を県内の温泉施設に打診したところ、あちこちから「ぜひ出して欲しい!」「何でも協力しますよ」と声が上がり、『青森の温泉めぐり』が出版されました。
192ページ・オールカラーなので、「青森の温泉ってこんなにさまざまな色の温泉があるんだ」と、見ても読んでも楽しめます。この本には、温泉をこよなく愛する下池康一さんの思いも書かれています。最後に、温泉に浸かった気分になる文章をご紹介します。
「温泉に入るとき、私はまず身体を洗ってから湯船の縁に腰を掛け、足を浸し、お湯の温度や感触を確かめます。それからおもむろに身体をゆっくり湯船に浸し、手のひらで身体をなでながらキュッキュかスベスベ、ツルツルかなどを楽しみます。そのときに心のなかで『ありがとうございます』と感謝し、『温泉っていいなぁ』となります」
■有限会社「グラフ青森」
https://graphaomori.jimdofree.com
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