「峠の釜めし」でおなじみの荻野屋が目指す、その先の世界とは?

By -  公開:  更新:

【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。

峠の釜めし(画像提供:株式会社荻野屋)

画像を見る(全10枚) 峠の釜めし(画像提供:株式会社荻野屋)

「駅弁」というものが登場しておよそ140年。今月(2月)で発売開始から66年を迎えた「峠の釜めし」を作る株式会社荻野屋は、その遥か前、駅弁の草創期から群馬県の信越本線・横川駅で構内営業を手掛けてきました。でも、荻野屋は、その伝統に胡坐をかくことなく、いまも日々、変わり続けています。そのベースにあるものはいったい何なのか? 6代目のトップに訊きました。

E7系新幹線電車「あさま」、北陸新幹線・上田~佐久平間

E7系新幹線電車「あさま」、北陸新幹線・上田~佐久平間

「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第48弾・荻野屋編(第6回/全6回)

今年(2024年)3月16日、金沢~敦賀間が延伸開業する北陸新幹線。「かがやき」「はくたか」が東京~敦賀間を直接結び、高崎~長野間は、“長野新幹線”時代から親しまれてきた「あさま」号が各駅にこまめに停まりながら結んでいきます。豊かな食材に恵まれ、いまも全国区の名物駅弁が目白押しの北陸新幹線沿線。敦賀開業の折には、新幹線に乗ったり下りたりを繰り返しながら、駅弁を食べ歩くのも楽しそうです。

株式会社荻野屋 髙見澤志和 代表取締役社長

株式会社荻野屋 髙見澤志和 代表取締役社長

日本を代表する駅弁の1つ、信越本線・横川駅をルーツとする荻野屋の「峠の釜めし」。いまでは、昔からの駅弁の枠を超えて、東京都内にも常設の店舗ができるなど、大きく変化しました。その荻野屋で、2013年からトップに立つ6代目の髙見澤志和代表取締役社長に、駅弁作りや日本の駅弁について思うところを尋ねると、これまた“駅弁の枠を超えた”お話をいただくことができました。「駅弁屋さんの厨房ですよ」第48弾、完結編です。

「峠の釜めし」製造風景(画像提供:株式会社荻野屋)

「峠の釜めし」製造風景(画像提供:株式会社荻野屋)

●食に携わる者は、「衛生環境」が第一!

―髙見澤社長にとって、「駅弁作り」でいちばん大事なことは何ですか?

髙見澤:私自身はあまり「駅弁」にはこだわっていません。ただ、食に携わるビジネスですから、衛生環境が第一にあって、安全で品質の高いものを作ることですね。直接、口に入れるものですから、何か事があれば大問題です。とくに我々は日常より非日常で消費されることが多いものを作っています。そんなハレの日の食事を台無しにされるようなことがあっては、“食事自体が不味い”ということとは、まったく別次元の話で、大問題ということですね。

―ご自身がトップになってから変えたところはありますか?

髙見澤:それまで釜めしは「聖域」のようになっていたところもあったので、釜めしに関するルールはかなり変えました。釜めしは1種類だけというルールはもちろん、新たに冷蔵タイプの峠の釜めしの開発も行いました。峠の釜めしを温めることを前提に購入されるお客様が多いため、「冷蔵」であっても買っていただけるのではないかと考え、また冷蔵にすることで、消費期限の延長が可能であり、それはお客様の商品の利用性を高めることにつながると考えたからです。

峠の釜めし(画像提供:株式会社荻野屋)

画像を見る(全10枚) 峠の釜めし(画像提供:株式会社荻野屋)

●駅弁は「オワコン」なのか?

―ニッポンの駅弁をどのように盛り上げていきたいですか?

髙見澤:そもそも「駅弁」という言葉や表現は当初は存在しませんでした。駅弁は(移動に時間がかかり、車内で食事の必要が生まれて)結果的に生まれたものなんです。なので、結果として続けばいいんです。であれば、会社として長く続くことが結果として文化になり、象徴になっていけばいい。それを「駅弁」として意図的に盛り上げようとするのは、目の前のお客様を大切にしないことと同じで、本末転倒になってしまいます。本質はその先にあります。

―駅弁は“オワコン”ということですか?

髙見澤:「駅弁文化」は大切なものだと思います(大切だから盛り上げなければならないということではありません)。駅弁というのは、旅のお客様の利便性を上げるために当時国から権利をいただいて、私たちの会社が駅で弁当を販売することができたことから、それが「駅弁」という括りになったと思います。そして、その結果、私たちの会社の現在があります。そういう意味で、「駅弁」が会社の基礎にあるのであるから、その文化は大切にしなければならないと思います。

一方で時代とともに駅で売っている弁当が「駅弁」という括りになってきている時点で、私は「駅弁」という括りが終わっていると思うのです。当社はじめ多くの会社が弁当を販売していますが、駅だけで販売していませんよね。「駅弁」を盛り上げることで、会社の発展・存続がなされていくのであれば、盛り上げる必要もあると思いますが、今現在横川駅の「駅弁」としての販売量は全体の数%しかありません。そもそも「駅弁」の盛り上げにこだわりすぎていては、会社の存続が危うくなると思います。過去に「駅弁」ということにこだわって、駅での販売にこだわっていたら荻野屋はなくなっていたかも知れません。

私自身は、それを盛り上げるよりも為すべきことが多くあると思っています。いまでは当社の代表商品である峠の釜めしは、もともとお客様の要望にこたえる形で生まれています。それが「駅弁」という括りで捉えていただくのは、特に問題ありませんが、決して、過去から「駅弁」を盛り上げるために生まれたものではありません。お客様に喜んでいただくために生まれたものです。だからこそ、「駅弁」を盛り上げるということを目的にしたくないのです。

これからも時代とともに変わっていくお客様の要望にお応えしていく会社であり続けることが、大事だと思います。結果的に「駅弁」として括られている荻野屋の商品がお客様から支持されて、「駅弁」が盛り上がればそれはそれでいいのではないかと思います。

E7系新幹線電車「かがやき」、北陸新幹線・安中榛名~高崎間

E7系新幹線電車「かがやき」、北陸新幹線・安中榛名~高崎間

●日本が誇る山々を眺めて、荻野屋の味を!

―荻野屋を今後、どのような会社にしていきたいですか?

髙見澤:いままでの歴史で培った経営資源が弊社にはありますので、それを活かして新たな形に再構築していくことが必要だと思っています。その根底にある「お客様に向き合ってお客様に楽しんでいただく」という考え方、もともとは、旅を楽しんでいただくというところから始まったこの考え方をより広げていきたい。人生は旅とも云いますから、荻野屋と接点を持つことで人生を楽しんでいただける、そういう“記憶に残る会社”を目指したいです。

―社長お薦め、荻野屋の駅弁を美味しくいただくことができる鉄道の車窓は?

髙見澤:いまの列車は、車窓が見えにくいのが難点ではありますが(笑)、このエリアは、山に囲まれているわけですから、「山」を眺めて、召し上がっていただきたいと思います。私は新幹線で東京へ行くときに富士山が見えると嬉しいですし、日本らしさを感じていただけるのではないかと思います。北陸新幹線では、軽井沢周辺から見える浅間山も大変美しいです。ただ、駅弁の楽しみ方も時代に合わせて変わっていっていいものだと思います。

峠の鳥もも弁当

峠の鳥もも弁当

荻野屋の数ある弁当のなかでも、昭和40年代から半世紀以上の歴史を誇るのが「峠の鳥もも弁当」(1050円)です。詳しいルーツはよくわかっていませんが、荻野屋は碓氷峠で愛宕荘という旅館を営んでいた時代があり、宿では旅館で飼育していた鶏料理を出していたのだそう。このあたりに弁当としてのルーツがあるのではないかということでした。いまは横川店・軽井沢駅などでごく少数が販売され、出逢えるとラッキーな弁当の1つです。

峠の鳥もも弁当

峠の鳥もも弁当

【おしながき】
・ご飯(コシヒカリ) 梅干し ごま
・若鶏の骨付きもも揚げ
・自家製鶏もつ焼き
・下仁田蒟蒻の煮つけ
・利尻昆布佃煮
・自家製栗きんとん
・漬物

峠の鳥もも弁当

峠の鳥もも弁当

荻野屋の駅弁では希少な「白いご飯」を食べられる「峠の鳥もも弁当」。十字に結ばれたとじ紐をほどき、レトロな掛け紙を外して、思い切り骨付きの揚げたもも肉にかぶりつけば、「食べる喜び」の原点のようなものが感じられて、お腹も心も満たされます。自家製のもつ焼きや栗きんとん、さらに、群馬らしく下仁田のこんにゃくも入ってご当地らしさもしっかり。長年、“繊細な”鶏肉に向き合ってきた荻野屋の技が、存分に味わえる駅弁です。

E7系新幹線電車「はくたか」、北陸新幹線・軽井沢~佐久平間

E7系新幹線電車「はくたか」、北陸新幹線・軽井沢~佐久平間

「その時代時代のお客様に向き合っていけば、会社は続くと考えている」と話す6代目の髙見澤志和社長。その意味ではお祖母様の4代目・みねじ社長が、お客様に聞いて回って作り上げた「峠の釜めし」イズムは、いまもしっかりと受け継がれています。「衛生的な環境で作られる、品質の高いもの」というブレない軸によって生み出される究極のお客様ファーストの姿勢が、峠の釜めしの美味しさ、そして楽しさを支えているのだと感じました。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

Page top