「峠の釜めし」の荻野屋は、なぜ東京・銀座に進出したのか?
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「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
いまは安中市となった群馬県の信越本線・横川駅。この名物駅弁としてまず知らない人はいないであろう「峠の釜めし」。この釜めしを製造する荻野屋は、2010年代の後半から、東京・銀座の「GINZA SIX」をはじめ、有楽町や神田のガード下にも店舗を構えるなど、さまざまな形で東京に進出していて話題を呼んでいます。この背景には一体何があったのか。6代目トップにお話を伺いました。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第48弾・荻野屋編(第5回/全6回)
北陸新幹線・安中榛名駅に停車した「あさま」が、ゆっくりと東京に向けて走り出します。安中榛名駅は平成9(1997)年の開業時、駅周辺に“何もない”ことが話題になりました。筆者は当時、大学の放送研究会に所属しており、「本当に何もないのか?」ということを検証する企画の取材で駅を訪れたことがありました。このとき偶然、荻野屋の“偉い方”にお逢いして「横川も見に来るか?」と誘われ、車に乗せて貰い、話を伺ったことがあります。
鉄道には比較的距離を置いていた学生時代でしたが、鉄道の旅の楽しさが呼び起こされ、そして私が「駅弁」というものに、深くのめり込むきっかけの1つになったのが、このときの荻野屋の方との出会いでした。一方、できるだけ現場を訪れて取材することの大切さを学んだのもこのときです。今回も、群馬・横川の荻野屋本社にて、6代目の髙見澤志和社長にお話を伺っています。
●荻野屋の「ドライブイン」が生まれた理由は?
―荻野屋が「ドライブイン」に進出したのは、いつごろですか?
髙見澤:昭和37(1962)年にドライブインを開店しました。当時、ツアーの観光バスが狭い横川駅前に入ってきて、地元の皆さんから、苦情が寄せられるようになってしまいました。そこで、バスが横川駅前に入らなくてもいいように、いまの横川店がある国道18号沿いにドライブインを作ったと聞いています。それも、ただ売店を設けるだけでなく、食事ができる場所と美味しいお茶を出すことができる“快適な場所づくり”に努めていたといいます。
―昭和50年代には、このドライブインを改築されたり、諏訪へも進出されていますね?
髙見澤:モータリゼーションの進捗に伴って、私の父が「おぎのやドライブイン」という法人を立ち上げました。父はヨーロッパで仕事をしていた経験があり、日本にもいずれ欧州のようなリゾート地が脚光を浴びる時代が来ると考えていました。そのとき可能性があるのは、避暑地やスキーリゾートがある信州ではないかと。そこで、昭和57(1982)年の中央自動車道全線開通に合わせ、白樺湖などの玄関口にあたる諏訪へ拠点を設けました。
●北陸新幹線(高崎~長野間)開業に向けて、高速道路にシフト!
―平成9(1997)年の信越本線・横川~軽井沢間の廃線は、駅売りとしては大打撃だったと思いますが、事前にどんな準備をされたのでしょうか?
髙見澤:北陸新幹線開業前から、(構内営業者だった)油屋さんの撤退後、軽井沢駅で販売を始めていました。加えて、それまで「ドライブイン」をやっていた知見が活きました。平成9(1997)年は、ちょうど長野オリンピックの開催に向かって盛り上がっているタイミングでしたし、先立って上信越自動車道が開通して、横川にサービスエリアが設けられて「上り」を取れたことや諏訪の拠点もあって、売り上げ自体は非常に好調でした。
―北陸新幹線の開業当時は、釜めしの「車内販売」もありましたね?
髙見澤:車内販売のNREさん(当時)に「峠の釜めしの車内販売をさせて欲しい」とお願いし、釜の重さに耐えられる特別なワゴンを作って、販売にこぎつけました。残念ながら、長野新幹線(当時)だけの車内販売では、なかなか売り上げが伸びなかったのが正直なところです。後年、JRさんのお力添えもあって、高崎駅などでも「峠の釜めし」の販売ができるようになりました。
●「常に人がいる」マーケットで展開することで、会社を次へつなぎたい!
―平成29(2017)年、「GINZA SIX」へ都内初出店されたのはなぜですか?
髙見澤:私が平成15(2003)年に入社し、社長になる前から思い描いていた構想でした。観光需要に特化した事業の危うさを感じていて、少し災害があっただけで一気にお客様はお見えにならなくなります。例えば、浅間山の噴火があると、ツアーのお客様のキャンセルが相次ぎます。そこで「常に人がいる」マーケットでやらなければならないということで、東京に進出したわけです。会社のリスクヘッジという観点が、理由の1つですね。
―その後、有楽町や神田のガード下に出されたお店には、どんな狙いがありますか?
髙見澤:コロナ禍において飲食店の撤退が相次ぎましたが、新規出店をする企業は、ほとんどいなかったと思います。しかし「周囲がやらないときにやるべき」という考えが自分のなかにあり、出店を決断しました。有楽町や神田のお店はテイクアウトがメインで、軽く呑みもできる場所というコンセプトです。弊社の宣伝効果はもちろんですが、コロナ禍で「観光」が落ち込んでいた当時、群馬県や長野県をアピールしたいという狙いもありました。
“旬の食材を使った釜めし”という、「峠の釜めし」の原点を活かしながら、さまざまな食材を使った荻野屋の釜めしが登場しています。今シーズンは、去年(2023年)11月16日から今年(2024年)3月末までの予定で、数量限定販売されているのが、「峠のかきめし」(1500円)です。横川店・上信越道横川SA(上り線)・高崎売店などをはじめ、週末には横川駅前の荻野屋本店でも販売があります。
【おしながき】
・牡蠣の混ぜ込みご飯
・牡蠣煮
・揚げごぼう
・椎茸煮
・うずらの卵
・栗の甘露煮
・杏子
・紅生姜
・香の物
黒い釜に盛り付けられた「峠のかきめし」。峠の釜めしで使われている茶飯と牡蠣の混ぜご飯の上に、醬油ベースで甘辛く煮付けた牡蠣を盛り付けたといいます。釜めしでおなじみの、丁寧に1本1本職人さんの手でささがきされたごぼうが素揚げされていて、ひと味違った食感を楽しめるのも嬉しいところです。山椒の葉が載っていい香りがフワッと広がり、食欲をそそってくれます。
平成9(1997)年の北陸新幹線(高崎~長野間)の開業後、信越本線の軽井沢~篠ノ井間は、第3セクターの「しなの鉄道」となりました。しなの鉄道では現在、国鉄生まれの車両が最後の活躍中。先日、2028年の車両の引退まで、さまざまな企画が行われる予定と発表されました。かつては「あさま」「白山」などの特急列車に混じって、普通列車として碓氷峠を越えていた車両もありました。そんな歴史に思いを馳せてみるのも良さそうです。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/