それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
神奈川県・三浦半島の、ほぼ中央に位置する「衣笠」。JR横須賀線「衣笠駅」を降りてすぐの所に、全長250mほどのアーケードが続く「衣笠仲通り商店街」があります。この商店街で、月末の金曜と土曜の二日間、「まん仲大市(まんなかおおいち)」という、ワゴン形式のお店が出店します。
その一つに、赤い布で囲んだ目をひくワゴンがあるんです。ここで仕事をされているのが、堺優一郎(さかい・ゆういちろう)さん(29歳)。俳優のようなお名前ですが、その立ち姿も、とっても素敵なんです。ワインレッドのシャツに、Vネックの黒いエプロン……ウェーブのかかった長い髪、鼻筋が通り、優しい眼差し……ワインのソムリエ? もしくはバーテンダー? そんな雰囲気を漂わせながら、一心不乱に作業をされています。
実は、堺優一郎さん、「包丁研ぎ師」なんです。なぜ、包丁研ぎ師になろうと思ったのか…… 学生の頃、アルバイト先のフレンチレストランの店長から、「よかったら、うちに就職しなよ」と声をかけてもらったのがきっかけで、「将来コックになるのもいいかも……」と、自分専用の包丁を購入し、料理人の道を歩きはじめました。
仕事はキャベツの千切りから始まり、丸一日、包丁を握っていますから、すぐに切れ味が悪くなります。自分では包丁が研げない。包丁屋さんに出すと一本が2,000円ほど……。5~6本持っていたので、1万円が飛んでいきます。料理人になると包丁の管理は自己負担です。この出費は痛いと、YouTubeユーチューブを参考に、自分で研いでみると「お、包丁研ぎって奥が深いな」と、堺さんは、その魅力にだんだん引き込まれていきました。
磨き上げた包丁を見ると、日本刀のような輝き……。新聞紙を試し切りすると、サッ! サッ! サッ! と、小気味のいい切れ味に達成感を覚えました。
「世の中に料理人はごまんといるけど、包丁研ぎ師は何人いるのだろう。ましてや二十代の包丁研ぎ師は、そうはいないだろう……」
ここに新たな商売を感じた堺さんは、フレンチ料理店を辞め、一年間の準備期間を経て、26歳で「包丁研ぎ師」としてデビューしました。
2022年の夏、神奈川県内のスーパーマーケット「スズキヤ」葉山店で初めてワゴンを出した堺優一郎さん……心配した両親が見に来たそうです。
「父は、『好きな道を進め』と言ってくれましたが、母は『安定した仕事についてほしい』と心配していましたね」
そんな心配をよそに、堺さんが午前10時にお店を開くと、次々に、お客さんがやってきました。堺さんは、お客さんに「何に使う包丁ですか?」と、まず聞きます。魚専用、お肉専用、野菜専用と、包丁を使い分けている方もいるので、それによって刃の角度を少し変えて研いでいます。
現在、堺さんは、スーパー「スズキヤ」の6店舗と、月末2回の衣笠商店街、そのほか、スポーツジムなど、移動しながら包丁を研いでいます。堺さんは「包丁研ぎ師」を職業として認知してもらうため、きちんとした服装で、立ったまま包丁を研いでいます。
肝心の切れ味はもちろん、包丁全体の見た目にもこだわって仕上げます。こんなことがありました! 受け取りに来たお客さんが、「お兄さん、これ私の包丁じゃないわよ。誰かのと間違えてんじゃないの?」……新品のように磨き上げたので、自分の包丁じゃないと勘違いしたお客さんがいたそうです。
研ぎ料は、家庭で使う普通の包丁だと、990円。錆びている包丁、刃が欠けている包丁、素材が硬い包丁、職人さんが使う特殊な包丁になると、ちょっと料金がかかります。料金を提示し、研いだ包丁をお返しするときにお金をいただく後払いです。
一度研いだお客さんの包丁は、何も聞かずに預かります。
「お客さんの顔は覚えていなくても、包丁を見ると、自分が研いだものだと分かるんですよ。だから、どう研げばいいか、聞きません」
やりがいは、お客さんからの、こんな言葉……
「見違えるほど切れ味が良くなって、料理が美味しくなったわ!」
預かった包丁を黙々と研ぐ堺優一郎さん! 昭和の懐かしい音が、賑やかな商店街に響きます。
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