それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
愛知県大府市(おおぶし)、知多半島の付け根にあるこの町に、日本一の納豆を作る有限会社「高丸食品」があります。2月23日、「第23回全国納豆鑑評会」で、全国79メーカー、205点の中から、高丸食品の『国産中粒(ちゅうつぶ)納豆』が日本一に選ばれました。
高丸食品の創業は、昭和38年。現在、高丸喜文(よしゆき)さん(46歳)が二代目の社長です。創業当時、東海地方に、納豆の食文化はなかったそうです。そんな時代、納豆を作っても売れず、生活は四苦八苦でした。ところが、昭和50年代に入ると、スーパーマーケットが登場し、あちこちから注文が来るようになります。朝から晩まで、両親は納豆作りに追われ、子供だった喜文さんは、祖母に育てられます。
「遊園地に行きたいのに、バアちゃんに連れて行かれたのは、温泉。ハンバーグを食べたいのに、食べに行ったのは、お蕎麦屋さん。いつも忙しい両親に、反発するようになっていったんですよ」
高校生の時、とうとう父親と大ゲンカをして、家を飛び出します。職を転々としていたある日、「うちが大変だから手伝って」と母親に泣きつかれます。母の涙を見たら、嫌とは言えず、23歳で実家に戻った喜文さんは父親にこう言います。
「配達はしてやるけど、他は何もやらないからな!」
サーフィンが趣味で、配達の車にボードを積み、納豆の配達が終わると、そのまま、海へ直行!
「景気が良かったから、遊び半分、いい加減に働いていましたね」
ところが、好景気はいつまでも続きません。大手納豆メーカーが東海地方に進出。消費者は安い納豆を求めます。配達と営業を任されていた喜文さんは、大手が80円で売るなら、うちは75円だ、と安売りで対抗します。それを見た、知り合いの豆腐屋さんの社長から、「お前、何やってんだ! オヤジさんが、一生懸命に作った納豆を、安売りするやつがあるか!」と、こっぴどく叱られます。
「サーフィンをやる暇があるなら、ちょっと、ついてこい!」
連れて行かれたのが、なんと、岩手県の大豆農家でした。
「広大な畑で、農家さんが、黙々と作業している姿を見たんです。こんなに愛情を込めて、大豆を作っているのに、俺は、いい加減な仕事しかしていない。何をやってるんだ、俺は!」
心を入れ替えた喜文さんは、価格に見合う、うまい納豆を作ろう、と決意します。しかし、父親に頭を下げて、作り方は聞けない。母親に教わって、初めて作った納豆を一口食べると……
「ひどい味でした〜、最低の出来でしたね〜、それでも豆腐屋さんの社長が、ニコッと笑って、『うまいぞ! 明日からもってこい。うちで売ってやるから』そう言ってくれたんです。絶対にうまくないのに……」
納豆づくりの難しさは、目に見えない納豆菌の活動を操作すること。温度を上げたり、下げたりして、納豆菌の活動を調整します。
「納豆作りに秘密はありませんが、1つ、こだわりがあります。それは、必ず人の手を加えること……。大手メーカーがコンピュータなら、うちはカンピュータ。大豆が納豆になるまでを、機械ではなく、人の手で手伝ってあげる……、ただそれだけなんですよ」
北海道産の大豆を、丁寧に蒸し上げ、発酵室で夜なべをして、納豆作りに明け暮れた喜文さん。46年の人生の半分を、納豆作りに、そそぎ込み、作り上げた『国産中粒(ちゅうつぶ)納豆』が日本一に輝きました。
「いいもの…、うまいものには、必ずストーリーがあると思います。俺が作ったこの納豆にも、語りきれない物語があるんです。日本一の知らせが届いたときは、本当に、嬉しかった! でも、天狗になってはいけないと思っています。テストで100点を取っただけのことですから……」
将来は、自分で育てた大豆で、納豆を作り、その納豆が食べられる「朝定食専門店」を開くのが、高丸喜文さんの、次なる目標だそうです。
日本一になった『国産中粒(ちゅうつぶ)納豆』は、3個パックで、税別188円。日本一になる前、1日100個ほどを生産でしたが、今は、10倍の1,000個! それでも品切れになる程、売れているそうです。
有限会社 高丸食品
代表取締役 高丸 喜文
本社所在地 〒474-0055 愛知県大府市一屋町1丁目80番地
TEL 0562-46-5025
https://takamarusyokuhin.com日本一になった納豆
2018年2月23日
第23回全国納豆鑑評会
商品名『国産中粒納豆』
第1位 最優秀賞(農林水産大臣賞受賞)
上柳昌彦 あさぼらけ 『あけの語りびと』
2018年3月14日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ