カメラと東京タワーと家族で営む小さな写真店の物語
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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
国道1号、桜田通り……、港区三田の地元では、「三田通り」と呼んでいます。ここから見る東京タワーは、すらりと伸びた素晴らしい姿です。
その通称「三田通り」に面したマンションの一角に、小さな写真店『フォトサービス・マツナガ』があります。お店を営むのは、田島みどりさん(69歳)。子供の頃から、東京タワーを見て育ちました。
「私の父は、12人兄弟の次男で、実家は、この場所で、乾物屋をしていたそうです。写真が好きだった父は、戦争に行っても、カメラを離さず、戦地でも写真を撮っていたようですよ。終戦後、ジャワから帰ってくると、知り合いの写真店で修行し、昭和22年、実家の片隅に、木造の小さな写真店を開きました。その翌年、昭和23年に、私が生まれたんですよ」
当時、お客さんは進駐軍が多かったことから、『フォトサービス・マツナガ』という洒落た店名に……。三田には、お屋敷が多く、そこを接収した進駐軍から、パーティーなどの撮影の依頼があったそうです。
昭和30年代に入ると、ますます撮影の仕事が増え、集団就職の少年少女や、夜学生を従業員に雇って、まさに映画『三丁目の夕日』そのもの、活気のある時代でした。
「父は、いつも暗室にこもって、夜遅くまで仕事をしていましたね。楽しみは暗室で聞くラジオ。落語を聞いてよく笑っていましたよ」
ひとり娘のみどりさん。いつも忙しい両親にかまってもらえず、小学生の頃、こう宣言します。
「私は、こんな忙しい商売は継ぎません。サラリーマンに嫁ぎます」
その宣言通り、22歳で、サラリーマンと結婚。夫の仕事の関係で東京を離れ、転勤先で二人の子供に恵まれます。
昭和53年、都市開発で、お店周辺が、マンションに建て替えられ、その一階で、みどりさんの両親は、写真店を続けていました。
お店が新しくなった翌年、昭和54年8月、夏休みに、みどりさんは、子供を連れて、広島から久しぶりに里帰り……、孫を見て喜ぶ両親。ところがこの時、悲しいことが起きてしまいます。バイクで配達中の父親が交通事故で亡くなります。62歳でした。
「お客さんや周囲の方から『商売を続けて下さい』と励まされたんです。当時はカラーの時代でね、ネガやプリントは現像所が集配するので、お店での接客と、証明写真の撮影が、主な仕事でしたから、母が一人で、お店を続けることになったんですが……」
母親のことが心配でならないみどりさんは、昭和55年、東京に戻って、写真店を手伝うようになります。32歳のみどりさん、ここから写真修行が始まります。まずは接客を担当しますが、「いらっしゃいませ」がなかなか言えない。証明写真を撮る時、「うまく撮れるかな」と不安な顔になり、それが、お客さんも不安に感じて、
「大丈夫なの? あなたじゃなくて、お母さまに撮影を頼める?」
と言われたときは、すごく落ち込んだそうです。
「母と二人で守ってきた小さな写真店ですが、その母も、8年前、88歳で亡くなりました。その亡くなる少し前、『みどり、無理はしないでいいのよ。店を畳もうと決めたら、そうしなさいね』と言ってくれた、優しい母でしたね……」
「絶対に写真屋は継がない」と子供の頃に誓ったみどりさんですが、32歳から写真店を手伝い、いまは一人でお店を守り続け、この5月で、70歳、古希を迎えます。
「店を継いで良かったことは、自分の世界が広がったことですね。お店から見える風景は、ずいぶん変わりましたが、ここで店番をする時間が、私にとって大好きな時間になりました。この場所を作ってくれた、両親に、いまは感謝しています」
店内には、昭和30年代のお店の写真や、完成したばかりの東京タワーの写真が飾られています。
「夕日に輝く東京タワーを、仕事の合間に、撮影に出かけた父……、東京タワーを見るたびに、父の嬉しそうな顔を、思い出します」
先週の「あさぼらけ」のお便りのテーマが、「ハイポーズ! 写真の話」でした。
そこに、港区三田で写真店「フォトサービス・マツナガ」を営む田島みどりさんから、モノクロの東京タワーの写真が添えられた、素敵なお手紙がいただきました。
そんなことで、今回、「あけの語りびと」で取材することになりました。
フォトサービス・マツナガ
定休日:土、日、祝日
営業時間:9:00〜17:00
住所:東京都港区三田2-7-9 サニークレスト三田1F
電話:03-3451-2575
上柳昌彦 あさぼらけ 『あけの語りびと』
2018年4月11日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ