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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
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「森の六畳書房」はこちら
北海道浦河町(うらかわちょう)。北は日高山脈、南は太平洋に接し、50キロ南には襟裳岬があります。この町に2年前、神奈川県秦野市から移住したのは、櫻井廣志(ひろし)さん(69歳)と、けいさん(64歳)のご夫婦です。
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櫻井けいさん
定年後、移住するなら自然が多い北海道がいい。広大な北海道の、どこに暮らそうか……、東京で開かれた北海道暮らしのイベントに、何度か参加し、実際に冬の北海道の暮らしも体験してみたそうです。
「冬の気温は零下になりますが、家の中は快適で、光熱費も意外にかからないんですよ。雪かきが大変だと思ったら、浦河町の宣伝文句が、(札幌は1日3回の雪かき。浦河はひと冬3回、ほうきで履くだけ)実際は、3回以上でしたが、雪が少ないのは本当で、夏は涼しく冬は温暖で〝北海道の湘南〟と呼ばれているんです」
町内には、サラブレッドの牧場が多く、趣味で乗馬を始めました。贅沢をしなければ、年金で十分に暮らせるそうです。
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(上)浦河町の優駿ビレッジ(右下)ピンクの花は我が家の前にあるエゾノコリンゴ(リンゴの仲間)
子供の頃から、本が好きだった主婦の櫻井けいさん。町にただ一軒の書店があったことも、この町に移住してよかったことのひとつでした。その書店は毎週1日だけの営業で、古民家を借りた売場は、六畳ひと間。お店の名前は「六畳書房」。子ども向けの絵本から、小説、実用書などの本が並んでいましたが、2017年11月、建物の老朽化や経営難から閉店してしまいました。
ネット通販なら読みたい本がすぐに手に入る時代です。町には町立図書館もありますが、ふらりと入った書店で本を選ぶ楽しみがなくなって、町の人たちはがっかり……。そんな顔を見たけいさん、ふと、こう思います。
「週に1日なら、私に、できるかもしれない」
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自宅は、17年の春には建てたログハウス
けいさんは図書館司書の資格を持ち、書店でアルバイトをした経験もありました。
「うちの居間は14畳ほどあって、自宅なら家賃もかからない。書店の経営が大変なのは分かっていたから、店長ではなく、週1日の〝店番〟なら、やれるかなと思ったんです」
もともと「六畳書房」は、ひと口5,000円の出資金を募って、町のみんなでつくった、六畳一間の本屋さんです。けいさんが手を挙げたことで、すぐに準備会が発足し、町民が手弁当で、前の書店から、400冊ほどを運んでくれました。
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助け合って集まった「六畳書房」の本たちがまた「森の六畳書房」に集まりました
「町民のいろんな方に、力を貸していただきました。店の看板やブックカバーのデザインも無償で作ってくれたんです。主人がヤギで、私がアライグマの可愛いデザインなんですよ」
『小さな町だから助け合わないと…』、その言葉が嬉しかったと、けいさんは言います。
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ブックカバーのイラスト ヤギが夫の廣志さん。アライグマが妻のけいさんをイメージしてプロのデザイナーが作ってくれたそうです
お店の名前は「森の六畳書房」とつけました。櫻井さんの家が森に囲まれているからです。営業は、毎週月曜日の午前10時~午後7時。再オープン初日の3月19日には70人が来店、33冊が売れました。売上はすべて、本の仕入れに使うことになっています。つまり、けいさんに収入はなく、あくまでもボランティアです。
「どこでも本屋さんの経営は大変だと思います。ただ、私たちの場合は儲けは別なので、とにかく楽しんでやっていきたいですね。小さな町だからみんなが助け合って生きている……、それが移住して実感したことですね」
北海道の春はとってもゆっくりやって来るそうです。
「3月10日に〝ふきのとう〟が出たんですよ。関東なら、ふきのとうは、一気に大きくなりますが、こちらでは、2ヶ月かけて、ふきのとうが食べられます。4月になると、太平洋で、ウニが採れます。『春ウニ』と呼ばれ、安くて美味しいウニなんですよ。何もないどころか、浦河の春はいろんなことがある、春です……」
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店内の本棚は、ご主人の廣志さんの手作り
「森の六畳書房」ショップカード
「森の六畳書房」は、浦河町、様似町(さまにちょう)、えりも町の日高東部の3つの町で唯一の書店となるそうです。
上柳昌彦 あさぼらけ 『あけの語りびと』
2018年3月28日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ