江戸料理文化研究家の車浮代さんが、上柳昌彦アナウンサーがパーソナリティを務める、ラジオ番組「上柳昌彦 あさぼらけ」内コーナー『食は生きる力 今朝も元気にいただきます』(ニッポン放送 毎週月・金曜 朝5時25分頃)にゲスト出演。江戸文化、特に浮世絵と江戸料理に造詣が深く、「江戸の食文化」をテーマにした本を数多く執筆している車さんが、江戸料理について、江戸で濃口醤油が好まれた理由、100年前にあった江戸時代版ミシュランガイドについて解説した。
江戸の人々に忌み嫌われていたマグロ
上柳:江戸時代は冷蔵庫が無いわけですが、どうやって食べ物を保存したり、腐らないように工夫をしたりしたのでしょうか?
車浮代さん:方法はいろいろありますが、天日干し、発酵、発酵調味料に漬けるなどの工夫をしていました。マグロなんて江戸時代では本当に人気がなかったのですが、醤油に漬けることによっておいしくなり、傷まないようになって人気が上がりました。
上柳:いわゆる、漬けマグロですか?
車浮代さん:はい、漬けはご家庭でもできる非常に簡単な料理です。
醤油、酒、みりんをすべて同量用意します。まず、酒とみりんを20秒ぐらいレンジで温めて、そこに醤油を入れます。完成したタレに余った刺身を入れておくだけで、漬けが出来上がります。
上柳:簡単にできそうですね。
車浮代さん:マグロは足が早くて、江戸からちょっと離れた相模湾とかから大八車に乗せ、むしろで巻いて運ばれてくるので、まるで死体を運搬しているような感じに見えることから、忌み嫌われたんです。
上柳:「猫またぎ」とも言われていたようですね。
車浮代さん:はい、猫もまたいで通るぐらい見向きもされなかったようです。脂がのったトロの部分から傷むのですが、黄色くなってドロドロに崩れていくので、当時はトロを「ダラダラ」と呼んでいました。
上柳:「ダラダラ」とは、嫌なものという感じですね。
車浮代さん:赤身はかろうじて使われ、濃い味の鍋にしたりネギマ鍋にしたりしていたそうです。
上柳:ネギマ鍋は、脂っこくて足の早いマグロをなんとか食べる為の工夫だったわけですか。
車浮代さん:マグロの臭みをネギで消し、濃い醤油のだしで煮てなんとか食べていたようです。ネギマ鍋といえば今は高級品ですけど、当時は労働者の食べ物でした。
江戸時代は冷蔵庫がないので、お寿司の貝も素洗いしてから出したり、完全に生のネタもあまり無く、昆布〆にしたり漬けたり、火を通していました。
上柳:傷みやすい魚をなんとかおいしく食べるために、いろんな調理方法が江戸の時代に発明され、それが今でも脈々と受け継がれているわけですね。
江戸料理とは?
上柳:車さんは『大河ドラマの世界を楽しむ! 江戸レシピ&短編小説 居酒屋 蔦重』(オレンジページ)という本をお書きになっていて、これまでに江戸料理を1200種類ぐらい再現しているそうですが、どういったものが江戸料理なのでしょうか?
車浮代さん:よくその質問をいただきますが、簡単に言うと「おかずのルーツが江戸料理」とお答えしています。
上柳:いま私たちが食べているようなおかずですか?
車浮代さん:そうです。濃口醤油で作ったものは、江戸の郷土料理なんですよ。醤油はもともと、和歌山県の湯浅町が発祥と言われ、今でいう薄口醤油系の醤油だったのですが、とても高価なもので一般庶民は使えなかったんです。そこで、湯浅の職人が(千葉県の)野田や銚子へ行って、醤油を作り始めたと言われています。
上柳:野田や銚子の気候風土が、和歌山と似ていたのかもしれませんね。
車浮代さん:野田や銚子で作った醤油は、もっと江戸の風味があったようです。江戸はかつおだしだから、もっと濃い味の醤油が必要だということで、ちょっと配分を変え、今でいう濃口醤油が出来上がりました。醤油を江戸へ届けるのも隅田川を下るだけなので、輸送費も安く済みます。
こうして庶民に広まったことで、濃口醤油を使ったいろいろな料理が作られるようになりました。きんぴらゴボウも、本来は江戸料理なんですよ。
上柳:ちょっと和食っぽいおかずだな、と感じるものはほとんど江戸時代にルーツがあったのですね。
車浮代さん:そうですね。「江戸前の四天王」と言われている「ウナギ」「天ぷら」「そば」「すし」の4つは、醤油があってこその料理です。
上柳:たしかに、あのタレやつゆは醬油が無いとですよね。
江戸で濃口醤油が使われた理由
上柳:なぜ江戸では濃口醤油が好まれたのでしょうか? 今でも関東と関西では醤油が違ったりします。
車浮代さん:関西は、水が超軟水なんです。水にミネラルがあまり入ってないため、昆布のだしが出やすいんです。一方、関東や江戸は沼地を埋め立てて作っていますから、なんだかんだでミネラルがやや入ってしまう軟水なんです。
上柳:関東ローム層で火山灰もいっぱいあるからでしょうか。
車浮代さん:そうなんです。こうしたことから、江戸では昆布だしがうまく出ないので、かつおだしが主流になりました。
上柳:水にミネラルが多いと、昆布だしが出にくいのですね。
車浮代さん:また、その頃はかつお節も普及していましたので、濃いめの醤油が使われたということです。
上柳:江戸料理は、全国の食卓にどうやって広がったのでしょうか?
車浮代さん:例えば参勤交代とか。
上柳:なるほど。江戸料理を食べて、自分の国へ帰ったときに「江戸ではこういう料理、こういう味があるんだよ」なんて言って広がったのかもしれないですね。
車浮代さん:他にも、転勤や旅ブームの影響もあります。「やっぱり、江戸に1回は行ってみたい!」と思う人が多く、地方から来ていたようです。
いま、濃口醤油が無い家は全国に無いということは、江戸料理が広がりすぎて「江戸料理」という言葉が消えてしまったのかもしれません。
上柳:私たちが日常的に食べているさまざまなおかずが、江戸料理だったのですね。
100年前にあった江戸時代版ミシュランガイド
上柳:最近は温泉とか宿とかいろんな番付がありますが、江戸でも番付ブームがあったそうですね。
車浮代さん:相撲番付が元ですが、それを模したいろんな番付があったんです。例えば、「いい女番付」「料理屋番付」とういう風に、西方・東方に分けていろいろやっていたようです。
今でいうミシュランガイドですが、実は100年前の江戸には料理屋番付があり、そこで1位になれば大関となるので、料理屋さんは大関を取るために切磋琢磨していました。その頃はまだ横綱という地位がなかったので、大関が1番だったようです。
上柳:なんだか現代と同じですね。
車浮代さん:はい、今と同じなんです。料理屋番付が出るのを、庶民も「今年はどこのお店が1位なんだ?」と今か今かと待っていて、紹介されたお店にとりあえず食べに行っていました。この番付に載るか載らないかで、お店の売り上げは全然違ったようです。
上柳:中には貧困に喘ぐ人たちもいたと思うし、農村部ではまた違う文化だったのでしょうが、江戸の市中にいて、それなりの暮らしをしている町人の皆さんは、番付を作って楽しむというゆとりがあったのですね。
車浮代さん:実は仕事もたくさんあり、働く気になれば普通に食べていけたようです。
上柳:こうした番付ブームが、江戸料理を高めたり広めたりするきっかけだったのですね。
――実は、私たちのいつもの食事でよく食べられている江戸料理。江戸の人々が限定された環境で工夫し、試行錯誤を重ねた末に作った食文化は、いまの暮らしにしっかりと息づいている。江戸料理を知り、『これは濃い口しょうゆの料理だから、ルーツは江戸かな?』などと思いを馳せながら食べてみると、食事に込められた背景や物語を感じ、味わい方も少し変わるかも知れない。
江戸料理文化研究家の車浮代さんと上柳昌彦アナウンサーの詳しいトーク内容は、「食は生きる力今朝も元気にいただきます」特設コーナーHP(https://www.1242.com/genki/index.html)から、いつでも聞くことが可能だ。
番組情報
「上柳昌彦 あさぼらけ」内で放送中。“食”の重要性を再認識し、「食でつくる健康」を追求し、食が持つ意味を考え、人生を楽しむためのより良い「食べもの」や「食事」の在り方を毎月それらに関わるエキスパートの方をお招きしお話をお伺い致します。
食の研究会HP:https://food.fordays.jp/