内田社長退任決定で日産の今後は? 次期社長でDNAは蘇るのか?

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ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム「報道部畑中デスクの独り言」(第407回)

東日本大震災から14年の3月11日、横浜の日産自動車本社は慌ただしい1日となりました。新体制を議論する取締役会が開かれ、内田誠社長が3月末で退任、次期社長はイヴァン・エスピノーサ氏に決まりました。

オンラインで行われた日産の記者会見(日産公式YouTubeから)

オンラインで行われた日産の記者会見(日産公式YouTubeから)

その日の午後6時30分、オンラインで開かれた記者会見はわずか20分ほど、質問者は5人。画面で見る限り、こじんまりした部屋で左から内田康取締役会議長、内田誠社長、エスピノーサ次期社長の順に並んでいました。

道半ば……、“無念”の退任

「従業員の一部から信任を得られない状況になった」

会見で内田社長は退任に至った理由をこのように説明しました。「こうした状況で次の社長にバトンを渡すことになったことに対し、忸怩たる思い」とも発言。道半ばの退任に対する無念さが感じられました。

あわせて内田社長は在任中の5年4カ月を振り返り、「一定の成果を出せたと思っている」と実績を強調。具体的にはカルロス・ゴーン元会長の事件の後始末、事業基盤の強化、ルノーとの関係改善などを挙げましたが、社内の立て直しに終始した印象で、肝心の商品、クルマへの言及はありませんでした。ある意味、これが内田体制だったと言えましょう。

内田誠社長(日産公式YouTubeから)

内田誠社長(日産公式YouTubeから)

星野朝子、中畔邦雄、坂本秀行の3人の副社長も退任。内田社長を含めた執行役5人のうち、4人が退きます。側近がほぼ一掃された形です。一方で、木村取締役会議長は「責任の重大さは全員認識している」としながら、社外取締役8人は留任する意向を示しました。

役員リストを見てみると、取締役、執行役に商品戦略などの実務の意思決定を担うエグゼクティブ・コミッティ、マジジメント・コミッティ議長、専務執行役員、常務執行役員、フェローといやはや複雑なこと、その数は60人あまりに上ります。このうち、内田社長は取締役、執行役、エクゼクティブ・コミッティの三役に名を連ねます。

権力の集中を招いたゴーン体制の反省から、取締役による経営と監督と執行を分離しましたが、これでは、なるほど迅速な意思決定はおぼつかないでしょう。ホンダとの経営統合検討が打ち切られた要因の一つと言えます。先月公表された事業再生の進捗状況では役員の2割削減が明らかにされましたが、意思決定に対する“風通し”の改善は急務です。

エスピノーサ氏は多くを語らず。次期社長の“日産愛”は本物か?

「日産愛が強く、情熱とスピード感をもって日産の業績回復、さらなる発展をリードしてくれると信じている」

木村取締役会議長はエスピノーサ氏選任の理由として“日産愛”を挙げました。また、内田社長もエスピノーサ氏について「エネルギッシュで、自他ともに認めるカーガイ(クルマ好き)」と語ります。

イヴァン・エスピノーサ次期社長(日産公式YouTubeから)

イヴァン・エスピノーサ次期社長(日産公式YouTubeから)

エスピノーサ氏は46歳での抜擢。「日産を再び輝かせるために取り組んできた内田社長の後を継ぐことに大変ワクワクしている」と意気込みを語りましたが、注目される今後のパートナー探し、ホンダとの再協議の可能性、アメリカ・中国市場の対応については、任命されたばかりであることを理由に明言を避けました。アメリカ市場に関してはラインアップ強化について「新しいニュースが近々出るだろう」と述べました。

「日産とともに成長し、クルマへの愛情と自動車業界への情熱を深めてきた。日産に対する情熱を深めてきた」と語るエスピノーサ氏。“カーガイ”と“日産愛”はどこまで本物なのか……、就任する4月以降、これらについてどんな発信をしていくのか注目されます。

エスピノーサ氏、二つの「キーワード」

懸念が先行する日産の新体制ですが、光明があるとすれば、次の二点がキーワードになりそうです。

一つは「商品企画」。どんな製品でもそうですが、企画の段階では様々な案が出て、それを絞り込む過程をたどります。例えばスタイリングなどのデザインに関し、日産では東京のほか、アメリカ、ヨーロッパ、中国、ブラジルの各拠点から出された案を精査します。仕向け地向けのデザインが施されますが、採用案が必ずしも成功するとは限りませんし、ボツになった案でも良いものがある可能性があります。結局、最良のものを選び出す“目利き”が必要なわけで、それこそ経営判断となります。

北米や中国市場の不振の原因は商品戦略の失敗にあるという指摘があることから、商品企画の責任者であるエスピノーサ氏の起用を疑問視する声もありますが、トップになることで、本来の“目利き”の能力を発揮できるかが期待されます。

7代目(B13型)サニー メキシコでは「ツル」という車名で26年間生産された(日産自動車提供)

7代目(B13型)サニー メキシコでは「ツル」という車名で26年間生産された(日産自動車提供)

もう一つは「メキシコ」です。木村取締役会議長はエスピノーサ氏選任の理由の一つに、メキシコを含めたグローバルな経験を挙げました。

あまり知られていないのですが、メキシコでは日産が日系メーカーでシェア1位を誇ります。進出が1959年で他社に比べて早く、商品ラインナップや販売金融の工夫などで高いブランド力を維持しています。エスピノーサ氏は2003年のメキシコ日産を皮切りに、タイ、ラテンアメリカの商品企画を担ってきました。長らく高いシェアを誇ってきたメキシコの経験が、今回の起用につながったことは想像に難くありません。

ただ、内田社長も就任前、好調だった中国市場で合弁先の東風汽車有限公司の総裁を務めていましたが、その後中国市場は不振に陥りました。メキシコについてはアメリカ・トランプ政権による関税措置が不透明な状況でもあります。“得意分野”で“策士策に溺れる”ことのないよう祈りたいものです。

日産車が根強いファンに愛される理由を考察

そして、何といっても今後の新車投入が肝心です。ハイブリッド車投入や競争力あるEV(電気自動車)の展開などに目が行きがちですが、少し違う視点で考えてみます。

先の小欄で「旧車のモーターショー」と呼ばれるイベント「ノスタルジック2デイズ」についてお伝えしました。20世紀を彩った旧車はいまも輝きを放っていましたが、特にスカイライン、ブルーバード、サニー、フェアレディZ、ダットサントラックといった往年の日産車が元気、イベントの主役と言っても過言ではありませんでした。丁寧に磨き込まれ、チューニングされた車両は存在感がありました。

また、エスピノーサ氏はメキシコでの経験が豊富ですが、メキシコといえば、かつて「ツル(TSURU)」という日産車がありました。ベースとなったのは日本の小型セダン「サニー」。1981年発売の5代目(B11型)から駆動方式がFR(前エンジン・後輪駆動)からFF(前エンジン・前輪駆動)に変わり、3年後の1984年に「ツル」という車名でメキシコにも導入されます。

サニーは「トラッド・サニー」と呼ばれた6代目(B12型)、7代目(B13型)へと変遷し、日本では1994年に8代目(B14型)に代替わりしますが、メキシコではB13型「ツル」が継続され、実に2017年までの26年間生産され続けたのです。直線的な箱型スタイルは運転のしやすさ、修理の容易さなど高い実用性を持ち、現地では「国民車」と呼ばれるほどのロングセラーとなります。

国内外で足掛け37年間生産された2代目(B120型)サニートラック(写真は中期型 日産自動車提供)

国内外で足掛け37年間生産された2代目(B120型)サニートラック(写真は中期型 日産自動車提供)

一方、同じサニーでも「サニートラック」という小型ピックアップトラックがかつてありました。初代は1967年に発売、1971年にモデルチェンジされた2代目のB120型は乗用車のサニーが上記のように代替わりする中、改良を繰り返しながら1994年まで23年間、日本で販売されました。堅実な設計でありながら、名機と言われたA型エンジン、手軽なサイズなどで人気を博しました。

さらに、国内販売を終えてからも南アフリカでは「バッキ―」という車名で2008年まで販売されます。足掛け37年も新車として生き続けたわけです。その販売期間の長さから様々なパーツも豊富で、ドレスアップの素材として根強い支持があります。最近の国内中古車サイトでは300万円を超える値がついているものもあります。

こうした現象から日産車が愛される理由がおぼろげながら見えてきます。頑丈で高い実用性、汎用性を備えながら、ユーザーらが手を入れることで、より高いパフォーマンスを引き出すことができる素性の良さ、そして、ユーザーが思い思いの色に染められる、趣味性をも満足させる懐の深さ。これぞファンが求める日産車像ではないでしょうか。

電動化、知能化の時代にこうした資質は活かされないのか……、私は否だと思います。電動化では性能を底上げするチューニングパーツは今後拡充されるでしょう。それこそ、参加を続けるフォーミュラEの経験が生きるはずです。

横浜の日産本社

横浜の日産本社

知能化についてはSDV(Software Defined Vehicle)が注目されています。経済産業省が策定した「モビリティDX戦略」の定義では「クラウドとの通信により、自動車の機能を継続的にアップデートすることで、運転機能の高度化など従来車にない新たな価値が実現可能な次世代の自動車」となります。これからのクルマはアプリケーションなどのソフトウェアによって“味付け”を自在に変えられる可能性を秘めています。

それには礎となるOS(基本ソフト)がカギを握ります。だからこそ国内外の各社が開発にしのぎを削っているわけですが、ユーザーが思い思いに好みのクルマに仕上げるという意味では、日産車との親和性は決して低くないと思います。

懸念と期待にどう応えていくのか……、新体制になっても“いばらの道”であることに変わりはありません。正念場の中、まずはここ1年の動きに注目したいと思います。

(了)

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