大井川鐵道の11時間耐久「長距離鈍行列車ツアー」を体験する(その4)~静岡駅「特製幕の内弁当」(1,080円) 【ライター望月の駅弁膝栗毛】

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4/23に行われた、ほぼ11時間ひたすら列車に乗り続ける、大井川鐵道の「長距離鈍行列車ツアー」。
2往復目の列車が15:17、千頭に到着し、連載4日目にしてようやく全行程の「折り返し点」。
今回も列車が到着するとすぐ機関車が切り離されて、隣の線路を通って客車のお尻に機関車を付け替えます。
これを鉄道の言葉では「機回し」といって、そのための線路を「機回し線」と呼んだりしています。
昭和50年代、東京駅の”湘南電車”ホームが10番線から12番線に飛んでいたと記憶していますが、その間の「11番線」が実は機回し線だったんですよね。

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隣の線路を通って、客車のお尻に回ってきた大井川鐡道の「E10」形電車機関車。
小さい頃、私の実家の隣を走っていた身延線では「EF15形」電気機関車の貨物列車がよく走っていました。
茶色でデッキ付、この機関車より一回り大きくした車両だったと記憶しているので、私自身も懐かしいもの。
川端康成の「雪國」における国境の長いトンネルを抜ける列車も、トンネルをくぐる前、水上でこんな機関車を付け替える光景があったはず。
「清水トンネル」は開業当初から電化していましたので、茶色の電気機関車+旧型客車の組み合わせではないかと推察されるわけです。

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客車列車が健在の「大井川鐵道」だけあって、手際よく連結完了。
JRでは定期客車列車がなくなってしまいましたから、こんな光景も貴重なものになりつつあります。
この「機回し」にかかる手間や人件費を省くために、電車化やディーゼル化が進められた点もあります。
また、客車列車がスピードアップには向いていないことも減少の理由となりました。
でも、客からすると車両にモーターやエンジンがない分、静かに過ごせるのは「客車列車」なんですよね。

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旧型客車ですので、ドアはもちろん「手動」。
「列車が完全に停まってからホームにお降り下さい」という注意のアナウンスが入ります。
昭和40年代、レコード大賞を受賞した曲で、動き始めた汽車に一人飛び乗る旨の歌詞があったかと思いますが、これも「手動ドア」の旧型客車あってのシーン。
客車列車は動き始めがとてもゆっくりな上に、ドアに鍵がかかっていませんから、リアリズムがあったのでしょう。
もちろん「駆け込み乗車は大変危険」ですから、くれぐれも真似はおやめ下さい・・・念のため。

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半日近く1つの車両で過ごすと、だんだん自分の部屋のように愛着が出てきたりしますよね。
年季が入ったドアノブとかも真鍮だったり、多少立てつけが悪いところもまたご愛嬌。
元々、日本の列車は、木がたくさん使われていたんです。
でも、事故や火災などの教訓から難燃化が進められ、金属やプラスチックが目立つように・・・。
最近の観光列車で難燃化加工された木材が多用される傾向が強いのは、歴史が一回りしてきたということなのかも!?

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千頭を15:38に発った列車は、新金谷に17:00ちょうどの到着。
30分間停車して17:30から最後の1往復、千頭に向かって発車します。
薄暮時間帯に入って、いよいよ機関車のヘッドライトも灯りました。
今回のツアーは乗り降り・途中離脱も自由なので、私のように乗り続ける人だけでなく、下りて観光や「撮り鉄」をする人も・・・。
「大井川鐵道」でも電気機関車の客車列車は珍しいせいか、沿線には多くのカメラを持った人が見受けられました。

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実は今回のツアー、事前予約制で「弁当」の購入も出来ました。
1往復目後半、千頭11:55発の上り列車の中で昼食の「茶飯弁当」。
3往復目前半、新金谷17:30発の下り列車の中で夕食の「特製幕の内弁当」。
調製元はもちろん、静岡駅弁でおなじみの「東海軒」。
今回は夕飯向けに購入した、通常の駅売りでは見られない「特製幕の内弁当」(1080円)をアップ。

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「東海軒」レギュラーの「幕の内弁当」(800円)は、今も静岡駅で人気ナンバー1を誇る駅弁です。
静岡駅の幕の内といえば、鉄道好きならご存知「大垣夜行」における深夜の駅弁販売。
「大垣夜行」は東京~大垣間で運行されていた普通列車で、静岡駅で長めの停車時間があってホームで駅弁が売られていました。
20年前の1996年、全車指定の快速「ムーンライトながら」となって駅弁の販売はなくなり、今は「ムーンライトながら」も繁忙期の臨時列車に。
駅弁は同一のものではありませんが、そんな歴史を思い出させてくれそうな弁当のチョイスであります。

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そして18:51、この日3度目の千頭駅。
すっかり暗くなった中で「機回し」が行われます。
千頭は山間の小さな町ということもあり周囲の光が少なく、駅が最も人の温もりを感じるスポット。
機関車のライトに照らされたレールが浮かび上がり、旅情を誘います。

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千頭ではまたまたたっぷり36分停車。
長距離鈍行列車ツアー」の列車自体もすっかり”夜汽車”になってきました。
駅周辺の店も閉まり、時間をつぶすのもなかなか至難な技に・・・。
さらに小雨もぱらついてきました。
でも、お尻もかなり痛くなってきているので、座り続けるよりは訳もなく動き回りたいもの。

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木の雰囲気いっぱいの車内に、ぼんやりとした明かりが灯る旧型客車の車内。
昔の夜汽車って、こんな感じだったのでしょうか。
一方、昔の「サボ」(行先案内板)を持ってきて、実際に車体に吊り下げてカメラに収める人も登場。
さらには、昭和の頃に録音した紀勢本線・名古屋~天王寺間の夜行列車「はやたま」の音声を持ちこんで車掌さんに流してもらう人も・・・。
発車から間もなく10時間、車内の「鉄分」はさらに濃厚になってきました。

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列車は、千頭を定刻通り19:27に発車。
途中の家山では20:12~15まで3分の停車。
わずか3分ですが、夜汽車の雰囲気を撮りたい人が多いせいか、お客さんはみんなホームに出て大撮影会。
でも、マナーがいいお客さんが多く(勝手知ったる人が多く?)、終始和やかな雰囲気でありました。
撮影者の前に入らず後ろへ回り込むこと、列車から離れホームの中央に近いほうを歩くこと、フラッシュを焚かないことが基本です。

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旧型客車の広告スペースには、国鉄末期~JR初期に使われた数々のポスターが・・・。
「いい旅チャレンジ20000キロ」は、1980年からおよそ10年にわたって行われたキャンペーン。
国鉄全路線の「完全乗車(完乗)」を目指したもので、当時の新聞記事等ではおよそ1500人が達成したそう。
あとローカル線の広告スペースは都市部と違ってあまり売れないので、昔から国鉄(JR)のPRが多かったんですよね。
さあ、長かったこの列車の旅も、間もなく「終着駅」へ・・・。

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定刻通り20:45、大井川鐵道の「長距離鈍行列車ツアー」の専用列車は新金谷駅に到着。
総走行距離223キロあまりを、10時間57分で無事完走することが出来ました。
肉体的な疲れはあるものの、何はともあれ「やり遂げる」ということには爽快感があるもの。
ツアーに参加した皆さんの表情も清々しさが満ち溢れている様子でした。
一方「もう下りなくちゃいけないなんて・・・」と11時間を共にした列車との別れの寂しさを口にする人も。
世代が上の方は「平成の時代にこんな列車を走らせるなんてスゴイ!」と関係者の皆さんへの感謝の気持ちを表す人も見受けられました。

私自身は「旧型客車の旅」自体がリアルタイムでは間に合わなかったので「追体験」。
でも「昔の汽車旅はこんなんだったんだろうなぁ・・・」ということを知る貴重な機会になりました。
また、エンターテイメントを抑制して「昔の汽車」を出来るだけ再現しようとした企画性も面白いなぁと感じました。
大井川鐵道・広報の山本さん曰く「トーマスのような一般向けの企画と、こういったコアな企画でバランスを取りながらやっていけたら・・・」とのこと。
今回「11時間乗り続けるだけで12,000円(大人)」というツアーに定員の4倍が応募するという好評を博したことを受け、早くも第2弾の展開も???
貴重な「昭和の動く文化財」を守るための”喜捨”だと思えるなら、決して高くない”汽車”旅ではないかと思います。

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
「ライター望月の駅弁膝栗毛」
(取材・文:望月崇史)

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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