それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
熊本県益城町(ましきまち)の濱田龍郎(はまだたつろう)さんは、71歳。
5月1日、今週日曜の朝、ようやく布団の中で体を伸ばすことができました。
4月14日夜の地震発生以来、17日間にわたる車上生活からの解放。
宮城県や岐阜県から駆けつけてくれたボランティア仲間のおかげで、
濱田さんの住まいが、ようやく布団を敷けるまでに片付いたのです。
心身に障がいを持つ人たち20人ほどの就労訓練施設「そよかぜ福祉作業所」とNPO法人「九州ラーメン党」 そして浜田さんの住居の三つは棟続き。
ボランティアメンバーが提供してくれた空家を改装したものです。
濱田龍郎さんは、昭和19年、鹿児島県・種子島の出身。
昭和54年、勤めていた食品メーカーの種子島工場を退職後、スーパーマーケットの経営に乗り出しますが失敗。
40歳でスッカラカンの身になってしまいます。
負債が家族にまで及ぶことを恐れた濱田さんは妻の幸子さんと離婚。
「ラーメン屋をやってみないか?」
という話があったのは、そんな時でした。
小さくても一国一城の主。
店の名は『福ちゃんラーメン』にしました。
この店を始めて4年目。
濱田さんは、天使との出会いを果たしたのです。
その日、濱田さんは店の近くにできた福祉施設に出前を届けに出かけました。
すると、一人の少年が(うう~っ)と何かを叫びながら突進してきました。
咄嗟に恐怖を感じた濱田さんは、岡持ちを置き後ずさりをしてしまいます。
少年は、さらに何か言いながら、笑顔で岡持ちを握ると先に歩き始めました。
重度の障がいを持った少年の手伝いをしたいという気持ちからの行動。
それを施設の職員に教えられた濱田さんは、怖がった自分を激しく責め、恥ずかしいと感じました。
天使の後ろ姿は、こう教えてくれたそうです。
「おじちゃん、誰にでもね、誰かのためにできることがあるんだよ 」
この衝撃的な出来事から一か月、濱田さんは、施設の子どもたちと職員全員を店に招待。
20席ほどの店内に50人近くの人が入り、中はギュウギュウ詰め。
それでも立ったまま、子どもたちは目をキラキラさせながら
「おいしい」
「おじちゃん、ありがとう」
と言ってラーメンをすすってくれた。
このときの感動が、長いこと眠っていた心に火を付けました。
濱田さんは、同業者や食料品店経営者、農家の人たちが声をかけて、平成4年『九州ラーメン党』を設立。
障がい者や高齢者施設を車で訪れ、熊本ラーメンをふるまう活動を始めました。
「どうせ、ラーメン屋の売名だろう」
というような声も聴こえましたが、ひとたび始めた行動は、もう止まりませんでした。
49歳になった濱田さんは、別れた前妻の幸子さんに2度目のプロポーズ。
「ここで行かなかったら、あんたじゃない!と、いつも尻を叩いてくれたのは妻なんです。あいつが主人公なんです」
と、声を詰まらせる濱田さん。
52歳のとき、「九州ラーメン党」は、熊本県初のNPO法人に認定されました。
「福ちゃんラーメンは無くなりました。ボランティアに夢中になって、店をつぶしたと言われるのは、勲章です」
と胸を張る濱田さん・・・。
平成7年:阪神淡路大震災支援活動
東日本大地震の現地ラーメン炊き出し支援は、平成23年から今年まで、6年連続で続いています。
今年も3日間の炊き出しを終えて帰って来た矢先!あの熊本地震が起きました。
しかも、震源地は地元の益城町!
地震発生から3日後の17日から、ラーメンの炊き出しをスタート。
↓写真提供:東京新聞
この運命的な巡り合わせについて、濱田さんは語っています。
「神様からの、もっとがんばりなさい!という励ましでしょうか?自分が被災して、支援される側の気持ちもよ~く分かりました」
最後に、濱田龍郎さんが書かれた詩を一つ、ご紹介しましょう。
いい人になろう
金も力も無いけれど
いい人になろう
なろうと思えば、いつでもなれる
いい人になろう
困ってる人がいるからね
待ってる人がいるからね
助けが欲しいと言ってるからね
そうだ、いい人になろう
今だけでいいんだ
少しだけでいいんだ
いい人になろう
2016年5月4日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ