写真提供:産経新聞社
サッカー、リオ五輪代表枠は18人。
7月1日の発表直前まで手倉森監督は、大いに悩むことになるでしょう。
しかし、守りの要、植田はすでに代表入りが確実。
きのう、南アフリカとの壮行試合でも存在感をみせつけました。
「熊本出身の植田が少しでも頑張っている姿を見てほしい。被災者の方々の力になりたい。」
と話しています。
熊本県宇土市出身。
サッカーを始める前には、テコンドーの逸材でした。
小学3年で全国3位、中学時代には日本一に。
この間、友人から誘われ、サッカーのジュニアチームへ入団すると、2刀流でどちらにも才能を発揮。
一見、互換性がないように思いますが、スウェーデン代表のスーパースター、イブラヒモビッチも幼少時、テコンドーの経験者。
1対1の闘争心を養うにはうってつけだったのかもしれません。
そして、植田が選んだのはサッカー。
熊本の強豪、大津高へ入学すると、フォワードからディフェンダーへコンバートされ、これが、素質を開花させるきっかけに。
卒業時には10クラブからオファーがあり、J1・鹿島を選択しました。
その理由について「ファミリーのようなクラブだったから。」と語っているものの、九州男児の典型で本音を読ませない。
関係者によると、東日本大震災の被災クラブだったことが大きいということらしい。
「人生で、東日本大震災は、最も強烈だった」と周囲へ漏らしていたそうです。
ということで、入団直後、小笠原が中心になっている東北人魂をもつJ選手の会へ入り、積極的に被災地の慰問などを行っている。
そして今年4月14日、故郷で熊本地震が発生するとチームのフロントへ「すぐに行かせてほしい!」と懇願。
17日には小笠原などとともに総勢6人で、成田空港から福岡へ飛び、レンタカー3台に分乗して支援物資を運んでいます。
今季のJ1ファーストステージ、鹿島は圧倒的な安定感で優勝を飾りました。
その原動力のひとつは、17試合の内15試合でフル出場を果たした植田の力でしょう。
優勝が決まると、キャプテンの小笠原は「熊本の皆さんにお見せしろ」と、チャンピオンカップを手渡した。
誇らしげに掲げる姿は、きっと地元へ届いたはずです。
男気という点でも、植田はとても20歳そこそこの若さとは思えないほど。
15年1月のアジアカップでは、アギーレ前監督に見出され、初めてフル代表入りを果たしました。
日本代表・ハリルホジッチ監督が9月からスタートするワールドカップロシア大会のアジア最終予選へ必ず呼ぶだろうと言われている成長株です。
(原文)青木政司
6月30日(木) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」