「三陸鉄道」北リアス線の久慈駅(くじ・えき、岩手県)にやって来ました。
三陸鉄道といえば「あまちゃん」で一躍有名になった路線で、久慈駅も舞台となりました。
北リアス線は久慈~宮古間・71キロを結ぶ路線で、昭和59(1984)年に全線開業しました。
久慈から宮古までは普通列車でおよそ1時間40分、1~2時間に1本程度の列車が運行されています。
今回は三陸鉄道・36-700形気動車の宮古行に乗り込みます。
「36-700形」は、クウェート政府が東日本大震災の際に支援して下さった「原油」を元手に作られた車両。
クウェート政府から無償で「500万バレル」を提供いただいた原油は換金され、日本赤十字社を通じて被災3県(福島、宮城、岩手)に配分。
およそ「400億円」ともいわれる支援のうち、岩手県分となった「84億円」の一部が三陸鉄道の車両購入に充てられました。
このため「36-700形」はクウェートの国章を前後につけ、側面にクウェートへの感謝の言葉がアラビア語、英語、日本語で表記されています。
当時の新聞記事等によれば、この「500万バレル」の支援、クウェートとのパイプ役を務めたのは、小池百合子新・東京都知事なんだそう。
平成2(1990)年にクウェートがイラクに侵攻された時に日本が支援した「130億ドル」の恩返しの意も込められているといいます。
さて「久慈駅」に来たら、絶対立ち寄りたいのが「三陸リアス亭」。
そしてお会いしたいのが、女将の「工藤クニエ」さん!
実はこの人こそ「あまちゃん」で宮本信子さん演じた「夏ばっぱ」のモデルとなった方なのです。
「三陸鉄道沿線の名物を・・・」ということで、久慈駅で駅弁を手がけるようになったという工藤さん。
昭和59(1984)年の開業以降、30年以上にわたって毎朝5時に久慈駅に入り、駅弁の仕込みをされています。
そんな”夏ばっぱ”が手作りで手掛けるのが、名物駅弁「うに弁当」。
実はこの駅弁、原則として1日「20個」限定!!
繁忙期の週末には、営業開始前から行列が出来るほどなんです。
実際、私は前日から駅前のホテルに泊まり、朝6:20ごろから並んで買ったことがありますが、その日は朝7時半前に完売してしまいました。
それゆえ、なかなか入手が難しい「幻の駅弁」として知られているんです。
今回は混雑の少ない平日を狙って、昼ごろに行って無事「うに弁当」をゲット!
久慈駅の「うに弁当」、通常は予約も受け付けているんです。(三陸リアス亭:0194-52-7310)
ただ「うに弁当」は”夏ばっぱ”とご主人が2人で手作業で作り続けているので予約数にも限界が・・・。
夏場の週末ですと、直前では予約枠も一杯になってしまうことがあります。
工藤さん曰く「立ち寄る日が決まったらまずは予約を・・・」とのことでした。
ふたを開けた瞬間から、辺りに漂う磯の香り。
そして黄色く一面に広がる「蒸しうに」に、幸せな気持ちになります。
発売当初は、久慈駅にも4種類ほど駅弁があって車内販売も行っていたそうですが段々と淘汰。
お客さんの人気が一番高かった「うに弁当」だけが今も残り、駅で販売を続けています。
ちなみに「あまちゃん」に出てきた「リアスのうに丼」も工藤さんがロケの日、朝1時起きで作ったそうです。
久慈の「うに弁当」のすごい所は、見た目の圧倒感もさることながら「ご飯」にあると思います。
一面の蒸しうにの下にあるご飯が「うにの煮汁」で炊いたご飯!
うにとご飯を一緒に口の中に入れた時の味わいが、何とも言えない美味しさなのです!!
これを北リアス線のボックスシートに身を委ねていただけば、それは至福のひと時。
時期や漁獲によっては三陸産のキタムラサキウニを使えない時もあるそうですが、久慈に来たらやっぱり食べたい味です。
今シーズンも久慈の小袖海岸では「北限の海女 素潜り実演」が行われています。
行われているのは、7~9月の土・日・祝日の「10:20、11:20、14:20」の1日3回(見学料500円)。
週末には久慈駅前からは臨時の路線バスも運行されています。
幻の駅弁と「北限の海女」の皆さんたちに会いに、北三陸へ足を運んでみてはいかがでしょうか。
(画像は平成25(2013)年、ニッポン放送「ルートハンター」で取材時、筆者撮影のもの)
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
「ライター望月の駅弁膝栗毛」
(取材・文:望月崇史)
【ごあいさつ】
はじめまして、放送作家の望月崇史(もちづき・たかふみ)と申します。
ニッポン放送には、昔の有楽町の社屋の頃から、かれこれ20年お世話になっています。
最近では、月~木・深夜24時からの「ミュ~コミ+プラス」で放送された、
「ルートハンター」のコーナーに、5年ほど出演させていただきました。そんな私がライフワークとしているのが「駅弁」の食べ歩き。
1年間に食べる「駅弁」の数は多い年でのべ500個。
通算でも4500個を超えているものと思います。
きっかけとなったのも、実はニッポン放送の番組。
2002年~05年に放送された「井筒和幸の土曜ニュースアドベンチャー」の
番組ウェブサイトで「ライター望月の駅弁膝栗毛」を連載することになり、
本格的に「全国の駅弁をひたすら食べまくる生活」に入りました。
以来、私自身のサイトや、近年は「ライター望月の駅弁いい気分」というブログで
「1日1駅弁」を基本に「駅弁」の紹介を続けています。
”駅弁生活15年目”、縁あってニッポン放送のサイトで連載させていただくことになりました。
3つの原則で「駅弁」の紹介をしていきたいと思います。①1日1駅弁
②駅弁は現地購入
③駅弁のある「旅」も紹介「1日1駅弁」ですので、日によって情報の濃淡はありますが、
出来るだけ旬の駅弁と鉄道旅の魅力をアップしていきますので、
ゆるりとお付き合い下さい。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/