豊橋駅「うなぎ飯」(1,620円)~豊橋で「日本一の急カーブ」を体感して“べっぴん”のうなぎを喰らう【ライター望月の駅弁膝栗毛】

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豊橋鉄道モ3200形

豊橋鉄道モ3200形

愛知県唯一の路面電車、「豊橋鉄道」の市内線。
大正14(1925)年の開業以来、地域の皆さんの足として活躍しています。
特に市役所前付近では、日本の大動脈・国道1号の真ん中を路面電車が走行。
クルマ社会の中、地元の愛に支えられ、電車がトコトコ走る風景は実に温かいもの。
全線均一150円(大人、前払い)で、TOICA/Suicaなどの交通系ICカードも使えます。

豊橋鉄道市内線・路線図

豊橋鉄道市内線・路線図

豊橋鉄道の市内線は、豊橋駅前から出る電車には2つの行先があります。
1つは「赤岩口」、もう1つは「運動公園前」。
日中はそれぞれ14分間隔、合わせて7分間隔で運行されています。
途中までは同じルートを走り、終点の1つ手前「井原(いはら)」電停で分岐。
実はこの「井原」電停、ファンには有名な場所なんです。

井原電停

井原電停

「井原」電停で分岐するレールを望みます。
「運動公園前」行の電車は、本線から分岐し、右に曲がった所で停まります。
この右カーブがなんと・・・「半径11メートル」(通称:R11)。
ごく普通の交差点を、電車がクルマと同じように“クイッ”と曲がるのです。
コレが、人呼んで『日本一急なカーブ』なんですね。
(参考:「豊橋鉄道」「豊橋観光コンベンション協会」ホームページ)

井原電停

井原電停

「運動公園前」からの電車が、そろりそろりとカーブを曲がってきました。
「日本一急なカーブ」が出来たのは、今から35年前、昭和57(1982)年のこと。
豊橋鉄道の市内線に「運動公園前」までおよそ600mの支線が出来た際に、この「半径11m」の急カーブが生まれました。
全国で衰退著しかった路面電車の中にあって、積極策から生まれた新名所なのです。

うなぎ飯

うなぎ飯

そんな豊橋の駅弁で食べたくなるのは、壺屋弁当部の「うなぎ飯」(1,620円)。
掛け紙は、うなぎ屋の旦那が炭火をうちわで煽ってうなぎを焼き上げる風景。
もう1人は、ご飯のお櫃を重ねているようにも見えます。
そんなレトロな掛け紙がかかった折詰を手に取ると、底の裏面がしっとり。
経木の折詰が、しっかりご飯の水分を吸い取ってくれているではありませんか!

うなぎ飯

うなぎ飯

経木の折詰に胸をときめかせながら掛け紙を外すと、たれの香ばしい匂いと共に、大きめの蒲焼が2枚現れました!
一緒に付くのは、しば漬けと山椒、「つぼや」の文字が入ったオリジナルナプキン。
豊橋のある愛知・三河といえば、浜名湖と共に、日本を代表するうなぎの産地です。
うなぎは、原則として国産のものを使用。
この価格帯で安定して「うなぎ飯」を提供するには、お店の方にもさぞご苦労があるのではないかと推察します。

うなぎ飯

うなぎ飯

豊橋のうなぎで思い出したのは、「べっぴん」という言葉。
「べっぴん」という言葉が生まれたのは、江戸後期、吉田宿にあった鰻屋さんなんだそう。
このお店のキャッチコピー、「すこぶるべっぴん(別品)」が大きな話題を呼んで広まって、明治時代になり、美人を指す「べっぴんさん」に派生していたといわれます。
豊橋のうなぎが無かったら「べっぴんさん」というドラマも生まれなかったかも!?

経木の折詰に貼りついたたれの沁みこんだ白いご飯を、1粒1粒剥がしていくのが、壺屋弁当部の「うなぎ飯」を食べてよかったなぁと思える瞬間。
質素でシンプルな作りが、今となってはすっかり「べっぴん(別品)」の駅弁です。
歴史の重みと一緒にいただきたい、本場・三河の貴重なうなぎ駅弁です。

(取材・文:望月崇史)

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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