
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
今日ご紹介する清水博正さんは、1990年、群馬県渋川市生まれの26歳。
そして生まれつき、目が不自由な演歌歌手です。
でも、清水さんは、こういいます。
「人生はプラスマイナスゼロ。困ったことがある分、いいこともあるんです。」

清水博正さん
ちょうど今はゴールデンウィーク。
博正さんも子供の頃、休みになると、キャンプに行ってバーベキューをしたり、川で遊んだり、楽しくてにぎやかな家族に囲まれて育ちました。
お母さんは、幼い息子に
「ヒロくん、お空は、広くて、青いんだよ。そこに白い雲が浮かんでいるんだよ。ほら、さわってごらん、これはタンポポ。お花は黄色くて、種になると、白くて、ふわふわになるんだよ。」
と教えました。その言葉を聞くうち、だんだんと色や形が想像できるようになったそうです。
「そうだ、人と話すことは、知らない世界を、知ることになるんだ。」

生後二か月ごろの博正さん
ご両親が、博正さんに、これだけは守るようにと教えたことがあります。
「人は一人じゃ生きていけない。ましてお前は、人の二倍三倍、お世話になるんだから、みんなに感謝して生きるんだよ。」
そんな博正さんが歌を好きになったのは、日舞をやっていたおばあちゃんの影響でした。
週末、おじいちゃんとおばあちゃんに連れられて、温泉施設へ行くと、お年寄りに囲まれて、6歳の頃から人気者でした!
大広間のカラオケで、見よう見真似で、意味もわからず演歌を歌うと、お年寄りが涙を流して、喜んでくれる。
「僕の歌で、元気になってくれる人がいるんだ。これが嬉しくて仕方なかったんです。」

10歳ごろの博正さん
瀬川瑛子さんの「命くれない」、五木ひろしさんの「長良川艶歌」、中でも、三橋美智也さんの「リンゴ村から」が大好き!
ですから、幼稚園で「春が来た」を歌うと、コブシが入ってしまい、小学校では、タテ笛を、尺八のように吹いていたそうです。
そんな博正さんに転機が訪れたのは、高校1年の時…「NHKのど自慢」の予選会に出る機会を得ました。
神野美伽さんの「雪簾」を歌うと、歌い終わらないうちに、拍手が沸き起こりました。
予選250組から、本番出場の20組に残り、翌日が本番!
緊張せずに、温泉施設にいる気分で歌うと、ゲストの堀内孝雄さんが、
「いやぁすごいね、前の客席のお客さん、ほら、みんな泣いてるよ……」
そういう堀内さんも、涙ぐんでいました。
一番喜んでくれたのは、おじいちゃん!
「小さいころから、オレが博正をあっちこっち連れてやって、それで、ここまで歌えるようになった…なあ、たまんねぇよ」
人目をはばからず、男泣きでした。
翌年、チャンピオン大会でも優勝した清水博正さん。
CDデビューの話が持ち上がり、ここで進路に迷います。
歌手になって、一生、食べていけるのか?
たとえ、歌手になっても、目が不自由では一人ではステージに立てない、共演者に迷惑をかけてしまうかもしれない。
鍼灸・マッサージの資格をとって「歌うマッサージ師」の道もある。
そんな時、作曲家・弦哲也さんが、渋川の家まで訪ねてきました。
「君の声は1つの大きな財産だ。僕はその声という財産を皆さんに分けてあげたいんだ。ぜひ僕の曲を清水君に歌ってほしい。」
この言葉に奮い立ち、高校二年生の時「雨恋々(あめれんれん)」でデビューしました。

博正さんデビューのころ
あれから月日が経ち、今年デビュー十周年を迎えた清水博正さん。
この十年、苦しくて逃げ出したいこともあったといいます。
それを堪えることができたのは、「歌」と「人」のおかげ……。
「目が見えないということとは、一生付き合っていかなければならないんです。でも、人は十人十色。障害はハンデじゃなくて、個性!いろんな人がいてもいい、僕はそう思っています。」
演歌歌手としては、これからが勝負!
花舞台に、清水博正さんは、立っています。
2017年5月3日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
《著書『目が見えない演歌歌手』について》
演歌歌手の清水博正さんが書いた本『目が見えない演歌歌手』はネット通販サイト・アマゾンの、歌謡曲・演歌ランキングで、最高20位以内に入るほど、好調な売れ行きを見せています。
《新曲『人生一番』について》
デビュー10周年記念曲『人生一番』は、恩師、作曲家・弦哲也さんと、
作詞家・たかたかしさんの二人による作品です。
《視覚障害について》
ホームドアが随分普及してきましたが、それでも、転落事故が、あとを絶ちません。
清水博正さんも、いままでに3度、駅のホームから転落したことがありました。
雨の日や風の強い日は、方向感覚を失うんだそうです。
そんな清水博正さんですが、お笑いが大好き!
浅草や上野の寄席に、一人で、出かけることも、よくあります。
そんな時、「大丈夫ですか」「お手伝いしましょうか」と声をかけられることが、この十年で、とっても増えたそうです。
《ラジオも大好きという清水博正さん。》
クリスマスの「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」での「音の出る信号機」の寄付は、行動的な清水博正さんにとって、とてもありがたい、とおっしゃっていました。