それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
きょう3月15日は「靴の記念日」。
明治3年、日本初の西洋靴の工場、今の「リーガルコーポレーション」が開業した日です。
そして、けさの『あけの語り人』は夫婦で営む小さな靴屋さん。
「日暮里舎人ライナー」の江北駅から歩いて1~2分のところにある『靴製造 nakamura(ナカムラ)』のお話です。
ご主人の中村隆司(たかし)さんは50歳、奥様の民(たみ)さんは46歳。
隆司さんは、愛知県出身で、3人兄弟の長男。
デザイナーになるためファッション関係の専門学校に行こうと考えますが、「大学を出て、自分で稼いでから好きなことをやりなさい」と母親に諭され、納得いかなないまま地元の大学で経済を学びました。
「大学4年になり、同期が地元の優良企業に就職が決まる中、わたしが東京のデザイン学校へ行くと言いだしたら、母は、『仕送りを止める!』と激しく怒りました。でも、何も言わない父は授業料を送ってくれました。嬉しかったですね。」
上京し、デザインを学ぶうちに登山靴のような機能的でシンプルな靴に興味を持ち、登山をしたこともないのに、文京区の老舗登山靴店に就職します。
登山靴作りは分業制。5年ほど毎日「底づけ」を担当していたある日、「登山靴のような丈夫でシンプルな、街で履ける靴をつくりたい。」というイメージが浮かびました。
でも、それには、靴職人になって独立するしかありません。
そこで靴づくりを改めて基本から学ぶために、勤めを辞め、一年間、浅草の職業訓練学校に通います。
そこで同期生だった民さんと卒業とともに結婚し、同時に靴職人として独立。
隆司さんが30歳、20年前のことでした。
「すぐに仕事が来るわけでもなく、見切り発車の独立だったので、受験生みたいな不安を、いつも抱えていました。」
20年経った今、『靴製造 nakamura』2階のショップには見本の靴がズラリ!
お客さんが来たら、民さんが接客し、足のサイズを測り、お好みの革と色、デザインを選んでもらい、靴をつくり始めます。
デザインは隆司さんが考え、それを元に民さんが型紙を書き、ミシンで靴の上の部分、アッパーをつくります。仕上げは、隆司さんが、靴底を取り付けて、完成。
コンセプトは「履きやすい」「丈夫」「シンプル」。さらに「デザインしていないようなデザイン」。
コツコツ続けているうちに、お客様から絶大な支持をいただけるようになり、今では注文から受け取りまで、半年待ちという人気の靴屋さんになりました。
「店がようやく軌道に乗ったときにも、『お前のような不器用な子がつくれるのだから靴というのは、よほど簡単なのだね』と母に言われました。」
そんな母親へのわだかまりが消えたのは、独立12年目に娘が生まれてから。
「この春から小学2年生ですが、友達を連れてきて、『うちのパパ、靴屋さんなんだ』と自慢するのが嬉しくてね。」と隆司さんは目を細めます。
でも実は、奥さんの民さんが、そっとこんなことを話してくれました。
「主人は、うちの両親にはすぐに靴をつくってくれたのに、自分のお義母さんには中々つくろうとしなかったんです。それが3年前にやっとプレゼントしたところ、お義母さん、その靴を履いて、嬉しそうに孫に会いに来てくれるんです。」
『靴製造 nakamura』は現在、中村さん夫妻と従業員の「うまちゃん」こと、馬渡(まわたり)加代子さんの3人で営業中。
1階の工房には、あちこちの棚にラジオが置いてあり、手は休まず、耳はラジオに……。
きょうも心待ちにしているお客さんのために、トントントントン!
隆司さんの、革を叩く音が工房に響きます。
2017年3月15日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
『靴製造 nakamura』
住所:東京都足立区江北4-5-4
電話:03-3898-1581
営業時間:10:00-18:00
休み:日・月(祝日は営業)
※余談
3月15日は「靴の記念日」。日本靴連盟が昭和7年に制定。
明治3年のこの日、靴業界の先駆者の一人、西村勝三が、東京・築地入船町に日本初の西洋靴の工場、「伊勢勝造靴場」を開業した。
陸軍の創始者・大村益次郎の提案により、輸入された軍靴が大きすぎたため、日本人の足に合う靴を作るための工場でした。
「伊勢勝」は、軍への靴・靴下などの納入で業績を伸ばし、のちに日本製靴(株)、現在の「リーガルコーポレーション」と引き継がれています。
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ