日本アニメの創始者をご存知ですか?【鈴木杏樹のいってらっしゃい】
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※この記事は2017年に書かれたものです
日本でのアニメの歴史
日本最初のアニメ
日本に初めてアニメーション映画の技術が外国から伝わって来たのは明治時代の後半です。
その後、日本のアニメの歴史は大正時代に海外から輸入されたアニメーション映画の影響を受けて、その一歩を踏み出しました。
3人いる『日本のアニメーションの創始者』
そして1917年(大正6年)、下川凹天(しもかわ・へこてん)さんの『凸坊新画帖 芋助猪狩(でこぼう・しんがちょう※または しんがきちょう いもすけ・いのししがり)の巻』という作品が公開されました。
ほぼ同じ時期に、北山清太郎(きたやま・せいたろう)さんが『猿と蟹』いわゆる『猿蟹合戦』を、さらに幸内純一(こううち・じゅんいち)さんが『なまくら刀』という作品を公開しています。
そんなところから、この3人の方々は『日本のアニメーションの創始者』と呼ばれています。
そして、この3つの作品が公開されてから、今年で100周年です。
『日本のアニメの父』とは
『セル画』を使った政岡憲三さん
そんな日本のアニメーション文化に大きな貢献をされた方に政岡憲三(まさおか・けんぞう)さんがいらっしゃいます。
戦前の頃から、値段が高かった『セル画』を使ったアニメーション作りに乗り出しました。
『セル画』とは、セルロイドの薄い透明なシートに描かれたアニメーションの原画のことです。
政岡さんは1943年(昭和18年)に、白黒アニメーション映画『くもとちゅうりっぷ』を発表し、セル画のアニメーションのスタイルを確立させました。
そんなところから、政岡さんは“日本のアニメの父”と呼ばれています。
(2017/5/31放送分より)
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