ここ数年、“日本茶離れ”が加速しているとも言われます。
ペットボトルの日本茶の種類は充実していますが、お茶っ葉の消費量は増えていないのだそうです。
お茶の葉というものは、一番茶から二番茶、三番茶、秋冬の秋冬番茶(しゅうとうばんちゃ)とありまして、この年4回摘んだ葉が全て国内消費されてきたのです。
が…今は「一番茶」しか葉っぱでは消費されない状況です。
まず、お茶っ葉でお茶を淹れるという人が急激に減っている。
若い世代では、急須や土瓶で日本茶を飲む、という行為が減っている、というか「急須さえ持っていない」。
また国内の人口減で、今後、日本茶の消費量はさらに減ると言われています。
ではどうしたらいいのか?
その対策は実は始まっていて、ある一定の効果が出始めている『海外への輸出』です。
農林水産省によると、日本茶の輸出は2005年には21億円、とこころが2014年にはその3倍以上の78億円を達成。
2020年には150億円を見込み、前年比30%増と伸び続けています。
それは誰のおかげか?
アベノミクスか?
いいえ、日本茶業界の“自発的な攻め”によるものです。
今でこそアベノミクスの一環で、日本茶は“農林水産業の重要品目”となっていますが、業界主導でとっくに輸出に転じる対策を講じていたのです。
ではそもそも、日本茶の輸出の歴史はいつから始まったのでしょうか?
1600年代、東インド会社が平戸からヨーロッパへ輸出したのが、わが国最初の輸出と言われています。
また明治時代、緑茶は生糸に次ぐ2番目の輸出品でした。
第2次世界大戦後は一時的に落ち込みましたが、戦後も主要な輸出品であることは変わらず。
それが昭和40代、中国茶の進出と円高によって日本茶は国際競争力を失い、急速に輸出量が減少。
その分、国内の需要が急増したので、日本茶業界は大変活気がありました。
同じころ、商社がありとあらゆる海外の地域へ進出し、日本人社員やファミリーが必ず持って行ったのが「緑茶」。
また、現地で増えて行った日本料理店に欠かせなかったのがやはり緑茶。
商社が世界へ広めたものは様々あると言われていますが、日本茶の輸出が落ち込む中で「緑茶文化」を地道に広めたのは彼らだったと言われています。
さて、国内消費が減り始めたのに危機感を抱いた国内の日本茶産地や問屋、小売店などは、ここ10年ほど、独自に“日本茶の発信”を始めました。
ついこの間まで、ヨーロッパやアメリカへ行って「グリーンティ」=緑茶を頼むと、相当イイお店でも、中国の劣悪な茶色い茶葉のティーバッグで淹れたグリーンどころか茶色い、まずいお茶が出てきたものです。
しかも、そこに「砂糖」や「ミルク」を添えるのです。
そういう状況ですので、あのグリーンで薫り高い、適当な渋みがある日本の緑茶、しかも、砂糖もミルクも入れない飲み方の文化。
これを、教えてまわる必要がありました。
そこで、お茶メーカーや小売店が、ある程度その国の生活スタイルや嗜好に合わせて商品開発して、海外に活路を見いだしたのです。
例えば、ティーバッグが普及していて、茶葉をどのくらい浸したらいいのかじっくり待てない国・アメリカの対策は、静岡の製茶メーカーと静岡県がタッグを組んで、お湯を注いで1分で深い緑色に抽出できるようは茶葉を開発しました。
シンガポールやタイなどのアジア対策としてはお湯に溶かして飲める「粉末タイプの緑茶」。
急須も不要、茶殻もでないので、茶を飲むのが好きな彼らの機会を増やしやすい。
現状で穴はロシア。
ロシアの茶消費量は、中国、インドに次ぐ世界3位でそのほぼすべてを輸入に頼っていて、うち6割は中国産。
中国の発展により、安かった中国茶と日本茶の価格差が狭まってきたことで、日本茶の入り込む余地も十分あります。
しかし、赤みのある発酵したお茶がメインのロシアで、発酵しないが故に鮮かな緑色をした日本産の緑茶をいかになじませるか?
これが今後の課題です。
そんな中で、世界中で大ブームと明るい兆しとなっているのが「抹茶」です。
きっかけになったのがスターバックスの抹茶ティーラテといわれています。
日本から販売スタートとなって、欧米でも展開した所、大ヒット。
セレブたちがお気に入りの飲み物として発信したのも良かったようで、いまや「MATCHA」で通じるようになっているのです。
中東のドバイでも抹茶ブームなんですが、これはスタバのおかげではなく、日本茶業界関係者の努力。
現地のホテル関係者を集めて、日本茶や抹茶を飲ませ、「抹茶が入ったケーキ」を振舞うなどして、まず食のプロを虜にしたことが功を奏したとのこと。
ちなみに抹茶の産地と言えば「宇治」を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、世界的抹茶ブームで一番沸いているのは、実は愛知県西尾(にしお)市。
宇治の様な高級抹茶ではなく、中級品の抹茶の生産地ですが、その分「食用への使用」を食品メーカーにアピール。
抹茶クレープ、抹茶ラテ、抹茶アイス、抹茶チョコレートなど、洋物へ活用されたのは、この西尾市の努力によります。
しかし、食品メーカーは大変に保守的で、使ってもらうのに10年かかったと言います。
今では当たり前にある「抹茶味」
アジアからの観光客も「抹茶味のお菓子」を大量に購入していくのはご存知の通りです。
高齢となり、後継者も不足して、廃業するお茶農家もありますが…ここにきて輸出へ転じた日本茶。
他の国にはまねできない「鮮やかな緑」で「薫り高い」緑茶をさらに輸出していくには、まだ努力の余地があるとやる気に溢れている日本茶業界のようです。
6月27日(火) 高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より