故・野中広務氏「戦争をしないために政治は何をするべきか」
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1/31(水)FM93AM1242ニッポン放送『高嶋ひでたけのあさラジ!』今日の聴きどころ!①
戦争体験者であるからこそ反戦を貫いた
6:32~ニュースやじうま総研!ズバリ言わせて!:コメンテーター鈴木哲夫(ジャーナリスト)
野中広務元幹事長92歳で他界
「毒まんじゅう」発言などで剛腕ぶりを見せていた自民党元幹事長の野中広務氏が今月26日に亡くなった。戦争体験者でもあった野中広務という剛腕政治家について、付き合いの長かったジャーナリスト・鈴木哲夫氏が解説する。
高嶋)この間元自民党幹事長の野中広務さんが92歳で亡くなりました。日曜日早朝のテレビ番組にときどき対談で出ていました。ホテルで倒れたのですか?
鈴木)亡くなるよりも少し前なのですが、ホテルで意識を失って救急車で運ばれたというのでちょっと騒ぎになりました。そのときは意識が戻ったからということを聞いていました。
高嶋)57歳で国政の方に来たということで遅咲きなのですが、なかなか手厳しいことを言っていましたよね。
鈴木)剛腕というか策士というか勝負師というか、あの形相と物言いで流れを作っていくという、昔のタイプの剛腕な政治家の1人といった感じですよね。
高嶋)「京都の毒まんじゅうを食らったんじゃないか」と、あの小泉さんを支援する青木幹雄幹事長や片山虎之助さんとか、当時はこの人たちをそう批判しました。小沢一郎さんを“悪魔”と呼んだ時期もあったし、手を組むときは「ひれ伏してでも」と言ったとか。よくお話になっていたようですね。
まるで“親父”のような存在だった野中広務元幹事長
鈴木)私は実は野中さんが表舞台で出世してからというよりはその前の、梶山静六さんの幹事長番だったのですよ。
宿舎に梶山さんを訪ねて行っていないときに、梶山番記者は皆野中さんのところで時間潰しに行くのですよ。まだ野中さんが梶山さんを支える立場だったので。そうすると記者が皆野中さんのところの部屋の冷蔵庫を開けるのですよ。するとビールが入っていて「飲め飲め」と言うことになって、そこが喫茶店のサロンみたいになるのですよ。野中さんはというと長椅子に座って黙ってニコニコしながら聞いている。記者は記者で賑わっていて、何だか親父みたいな感じでしたね。高嶋)記者は勝手に冷蔵庫を開けてビールを飲みながら記者同士でそれぞれ喋っていて、それを見ながら野中広務さんはニコニコして眺めていると。
鈴木)そういう印象が僕は強かった。“親父”ですね。年齢的にもそうだし我々当時の記者たちの親父のような感じでした。
高嶋)悠揚迫らずなんていう感じですね。
鈴木)そうですね。今はそういうタイプの政治家はいなくなりました。
戦争体験者でもあった政治家の想い
鈴木)あとはやはり戦争体験者であること。だから反戦というのに非常にこだわっていて、一見すると反戦どころか剛腕で何か仕掛けて来るような迫力なのだけれど、根っこは自らの体験もあって「戦争は絶対にノーだ」と。
高嶋)若いときに軍隊経験もあるのですね。
鈴木)招集されていますからね。あの時代の政治家の方は皆言います、時代と共に安全保障も変わっていかないといけないのだけれど、変わるにしても絶対にそれを行使しない。戦争をしない為に政治は何をするのか。戦争体験をした政治家の方は一貫しておっしゃっていましたね。
高嶋)付和雷同が無くて信念がありますよね。護憲にしても安保にしても反戦にしても。
鈴木)自ら明かされているけども、出自の問題も含めて、ある種人間主義的な政治家という感じでしょうね。
高嶋)若い頃それだけお世話になっていたら、鈴木さんも感無量だったでしょう。
鈴木)何と言うか、そうやって戦争体験者が亡くなっていくのは本当に寂しいというか、これで良いのかなという感じはしますよね。
高嶋ひでたけのあさラジ!
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