番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
きょうは、昔、鉱山の町で走っていた「一円電車」を復活。自分も運転手になって、ふるさとの町おこしのために活動している人のグッとストーリーです。
かつて「日本一のスズ鉱山」として栄えた、兵庫県養父市の明延(あけのべ)鉱山。明延地区は、最盛期には4千人以上の人口を抱え賑わいましたが、円高による金属価格の下落を背景に、1987年、明延鉱山は閉山が決定。鉱山で働いていた人たちは相次いで明延を離れ、現在の人口は、わずか70人ほどに激減、住んでいるのは、お年寄りばかりになってしまいました。
閉山から20年経った2007年、すっかり寂れてしまった明延の町にもう一度賑わいを取り戻そうと、住民たちが立ち上がります。その目玉となったのが、廃止されていた「一円電車」の復活でした。「一円電車」は、鉱山を経営する会社が地元住民の足代わりに、格安の運賃で走らせていた列車です。
「私の父が運転手で、鉱山から隣町まで6キロぐらい、山道を走っておったんです。運賃は1円だったんで『一円電車』言うんですわ。子供の頃は、よう乗っとりました」
と語るのは、地元で工務店を営む、小林政数(こばやし・まさかず)さん・69歳。
明延で生まれ育った政数さんは、一円電車の安全運行に協力し、自ら運転手も務めています。
「子供の頃、父が運転している姿を見て『ええなぁ』と、誇らしく思っておったんです」
父親の清一さんは、いつも「お前も運転手にならんか?」と言っていたそうですが、「それは嫌だったんです(笑)」という政数さんは中学卒業後、建築業の道へ進もうと決意。
大工修行をするため、16歳のときに明延を出て大阪の工務店に入りましたが、29歳のときにUターン。「父も母も年やし、親元で大工をやろうと思ったんです」……政数さんは地元の工務店に入り、30代半ばで独立しましたが、その頃から鉱山に陰りが見え始め、閉山が決定。
「鉱山が閉まると、社宅も閉まって人が減り、店もなくなる……町がどんどん寂れていくのを見るのは辛かったですね」という政数さん。閉山20年の記念イベントで、街角に展示されていた一円電車を再び走らせよう、という話が出たとき、線路の敷設も買って出ました。
「最初は、OBの運転手さんたちに動かしてもらったんですが、皆さん高齢でね……父もすでに亡くなっていたので、『自分たちで動かそう』ということになったんです」
明延の住民たち有志は、みんなで講習を受けに行き、免許を交付されましたが、メンバーの中には、政数さんの息子・祐基(ゆうき)さんもいました。祐基さんも、大学進学の際に明延をいったん離れましたが、「やっぱり、親父と一緒に大工をやりたい」と、大学を中退してふるさとに戻ってきたのです。地元・明延への思いは、親子共通でした。そして小林家は、清一さん、政数さん、祐基さんと親子3代で、一円電車の運転手を務めることになりました。
現在、毎年4月から11月まで、基本月1回、日曜日に「体験乗車会」が行われている一円電車。現在の路線は全長70m。時速6キロほどの、歩くのとほぼ変わらないスピードですが、車両は昔のまま。乗り心地が気に入って何度も乗り、電車から離れない子供もいるそうです。
料金は昔と同じで、1円払えば1日乗り放題ですが、お客さんたちにはあくまで心意気ということで「1円以上のカンパ」をお願いしています。中には「頑張って動かしてくれや!」と、1万円札を入れてくれる人も…。政数さんは言います。
「昔、一円電車が走っていた線路は、今は道路になっていますが、そこにもう一度、400mのレールを敷いて電車を走らせる計画があるんです。そうすればお客さんが増えて、店もできて、人も戻ってくる。これからも明延のために、運行を続けていきますよ」
【10時のグッとストーリー】
八木亜希子 LOVE&MELODY 2018年5月5日(土) より
番組情報
あなたのリクエスト曲にお応えする2時間20分の生放送!
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