記者会見で使う「わかりません」や「言い訳」は危険
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【わかりませんは危険】
「わかりません」
私たちは返答に困ったときにこの言葉を使います。学校で先生に当てられ答えがわからないとき。また、質問の意味が理解できず即答できないとき「解りません」などと使います。しかし、よく使う割にはあまり良い印象を与えないですね。「わかりません」は簡単に使う単語としてはリスクがある言葉なのです。
例えば、次のような場面によく出会います。
Aさんは新しいブロジェクトの企画書をBさんと一緒に仕上げています。企画書の中に図や表を入れるつもりのAさんでしたが、パソコンの操作がよくわかりません。AさんはBさんにこう話しかけました。
A:「図表をここに貼り付けたいのですが、ここをこうして…これでいいでしょうか?」
B:(にやっと半笑いしながら)「わかりません」「わたしも一度しか経験したことがないし、覚えてないし」
あなたがAさんならどう感じましたか? ばかにされているのか、ふざけているのか…。
やる気がなく、当事者意識が全くない印象ではないでしょうか。ネガティブ要素満載ですね。しかし、Bさんはそんなつもりは毛頭ないのです。一生懸命なAさんに対して自信がない自分が情けなく、照れ隠しもあって、半笑いしながら言い訳しただけなのです。
【言い訳はNG】
今年、アマチュアスポーツ組織の問題が世間を賑わしました。関係者の人たちはメディアの前で状況を説明しようと会見しました。しかし、その会見について私たちは「あれ?」と違和感をもちました。なぜでしょうか。彼らは「わかりません」「記憶にありません」「そのようなつもりではありませんでした」と答えをはぐらかしたからです。
人間は間違った時や自信がない時に、言い訳をしようとします。しかし言い訳は説明ではありません。事実を語らなかったり、明確に「そうです」と言えない時、なぜ言えないか言い訳してしまうのです。そうした会見は明らかに失敗と言えるでしょう。言い訳するのは自分を何かから守ろうとする行動です。聴いている側は、「守るあなた」を求めていません。話し手の保身などは問題にしていないのです。メディアもまた、保身に対しては否定的です。言い訳は「何かを隠そうとしている」とあの手この手で追及します。当事者からネガティブな言葉が出てくることがわかっているからです。
一方、聞く側によい印象を残した会見はどのようなものでしょうか。共感を生んだ会見はまちがいなく「わかりません」という言葉を使っていません。日大アメフト問題の選手がよい例となりました。事実をありのままに話し、たとえ答えにくい質問であっても、答えられない理由を明確に話し、根拠を示して終始真摯な姿勢を貫いた会見によりメディアを味方につけることができたのです。
【クッション言葉をプラスしよう】
最初のAさんとBさんの企画書の例は、Bさんがネガティブな印象を醸し出してしまったことが失敗でした。半笑いしたり、簡単にわからないと言ってしまったり、自信がないことを隠そうと言い訳してしまいました。
私たちは、「わかりません」を使う時「すみません」や「申し訳ないのですが」などと付け加えることが多いですね。これはクッション言葉と言い、付け足すことでクッションになる言葉です。単独で「わかりません」というと直接的ですが、「申し訳ないのですが…」と始めるとやわらかな感じになります。「わかりません」はそれだけで使うと相手をはねつけるぐらい強すぎるのです。
アマチュアボクシングの問題でもこの「わかりません」を連発した関係者がいました。何を聞いても「私はわかりません」から始めるコメントは、繰り返されることで彼の立場の意味を疑問視させ、人間性を疑いたくなるほど信頼から遠のかせました。説明してほしいと願った、聞く立場の人間を無視し配慮さえも感じない受け答えでした。もちろん疑惑を払拭することなどできませんでした。
【マイナス要素を弱めるには】
ではどうしたらよいのでしょうか。クッション言葉を付けるのはもちろんですが、「ん」で終わらないようにしましょう。わかりませんは「わかりかねます」。できませんは「できかねます」と「ます」の形にするのです。
“クッション言葉+肯定的な表現“を心がけてみましょう。ただ少し形式的で堅い感じは否めませんね。であれば、「わかりませんが、○○だと思います」と自分の意見を付け加えたり、「わかりませんが、○○ではどうでしょうか」と提案します。さらに前向きの行動を加えることでマイナス要素を弱めることができます。そして、「なぜなら…」とその根拠を数字や経験などで示すことが出来れば完璧ですね。
否定的な要素の言葉は友人や家族との会話なら問題なくても、ビジネスの場でも使っていると、周りからの評価をいつの間にか落としてしまう可能性がありますので気をつけたいところです。
【音声での表現】
ところで、今月からニッポン放送で毎週月曜~火曜のニュースデスクを一部担当しています。ニュースを読む行為は、ただ読めばよいという単純なものではなく、事件か、裁判か、政治問題なのか、経済状況なのかで読み方が違います。
アナウンサーになりたての頃、「楽しいニュースはうれしそうに読め、悲しいニュースは哀しく読め、でも笑うな、泣くな」と言われたことを思い出します。言葉を発する際に“音声”という手段を用いて表現することはなかなか難しいことです。しかし表現の仕方を変えることでより伝わりやすくなり、あらためてその大切さに気づくことになりました。
発信する行為には必ず受信する相手がいます。私たちは誰でもインターネットを通して不特定多数の人に発信することができます。しかし、不特定多数だからとないがしろにするべきではないのです。その言葉を発したら相手はどう受けとめるのか。簡単にアクセスすることができるからこそ、優しくなることが大事になるのでしょう。このコラムでコミュニケーションの基礎を見直していただけたら嬉しく思います。
連載情報
柿崎元子のメディアリテラシー
1万人にインタビューした話し方のプロがコミュニケーションのポイントを発信
著者:柿崎元子フリーアナウンサー
テレビ東京、NHKでキャスターを務めたあと、通信社ブルームバーグで企業経営者を中心にのべ1万人にインタビューした実績を持つ。また30年のアナウンサーの経験から、人によって話し方の苦手意識にはある種の法則があることを発見し、伝え方に悩む人向けにパーソナルレッスンやコンサルティングを行なっている。ニッポン放送では週1のニュースデスクを担当。明治学院大学社会学部講師、東京工芸大学芸術学部講師。早稲田大学大学院ファイナンス研究科修士
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