それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
季節はもう11月。朝夕の冷え込みも、一段と強まることでしょう。こんなときだからこそ、今回は冷たーいお菓子のお話をご紹介しましょう。
アイスクリームやジェラートは暑い季節のモノという考え方は、失礼ながら、もう古いようです。コンビニのケースのなかには一年中アイスクリームが並び、いまの人たちは季節を問わず、その冷たい食感を楽しんでいます。
石川県の能登町と野々市市で、ジェラート専門店『マルガージェラート』を営む柴野大造さんは、1975年、石川県能登町の酪農家の長男として誕生しました。現在は43歳、奥さんと息子さんの3人暮らしです。
東京農業大学に進学、卒業後は家業である酪農を継ぎます。父親は博士号を持ち大学教授になると思いきや、ふるさとの能登に戻り、50頭の牛を飼って牧場を始めたというパイオニア精神あふれる人。その背中を見て育った柴野さんもまた、農産物の自由化、生産調整、輸入飼料の高騰など、経済的に厳しい環境にあった牧場を何とかしなくては、という意気に燃える青年でした。
「牧場経営の助けになればという思いで、加工品の製造を考えたんです。生クリーム、バター、チーズ、ヨーグルト、いろいろ考えた末、いちばん幅広い年齢の方に好まれるということで、ジェラートにしたんです」
こう振り返る柴野さんですが、お菓子作りの学校で学んだこともなく、店で修行した経験もありません。全くゼロからの出発でした。イタリアからジェラートのレシピ本を取り寄せ、夢中で勉強しました。
こうして、能登町に牧場直営のジェラートショップ「マルガージェラート」をオープンしたのは、2000年のことでした。
アイスクリームよりも乳脂肪分と空気の含有量を押さえたジェラートは、素材の味をダイレクトに伝えることができ、後味はサッパリしています。しかし、最初の2~3年は商売にならず、特に冬場はキツかったと言います。それでも、柴野さんの胸のなかには、火のように燃える信念がありました。
柴野大造さんは、自分の信念について次のように語ります。
「食べた瞬間に、そこに風景が浮かぶような味わいと情熱を表現することを心がけました。どんな人が・いつ・どのような場面で、誰とどんな表情で食べるのかというストーリー性を、常に想像しながら作ります。ただ『おいしいモノが出来ました』というだけで、人の心は揺さぶれない。ジェラートは、たましいの食品なんです」
お客様が来なくても決して腐ることなく、柴野さんは開発に取り組みました。能登の名産品を、次々にジェラートのフレーバーとして使ってみたのです。
日本海のワカメ、アオサイ、岩のり、カキ、寒ブリ、そして能登の塩! この塩ジェラートが初めてのヒット商品となり、寿司屋さんのシメやレストラン、居酒屋のデザートとして人気を呼んでいると言います。
柴野さんの努力が見事に花開いたのは、2014年からのことでした。イタリアのリミニで開催されたジェラート国際コンクールで入賞。そして2015年、ジェラート日本チャンピオンの座を獲得。2016年、世界ジェラート大使を拝命、ローマの殿堂入りを果たします。
さらに2017年、イタリアのパレルモで開催された大会では総合優勝! アジア人初の世界チャンピオンとなります。
柴野さんがパイナップルとリンゴとセロリのシャーベットを作るとき、イタリア人のジェラート大使の仲間は、口をそろえて言ったそうです。
「セロリはイタリア人に最も嫌われる野菜なんだ。やめておけ!」…柴野さんは、このアドバイスを頑として聞き入れませんでした。
「パイナップルは胃もたれ防止、リンゴは腸内環境を整える、そしてセロリは消化のため。セロリをハズすと意味が無いんだ!」
こうして世界チャンピオンを獲得したとき、審査委員長は言ったそうです。
「君の作品は、非の打ち所がない。イタリア人が寿司職人のコンテストで優勝したようなものだ!」
これだけの実力と功績を重ねてくると、「東京で出店しませんか」といった誘いも殺到します。しかし、柴野さんは全て断って来たと言います。
「能登にいて、能登のモノを使って作ることで地域が活性化します。僕は、東京・原宿のお店の行列には、あんまり興味が無いんです。この頑固さは、親父に似たんですかねぇ…」
上柳昌彦 あさぼらけ
FM93AM1242ニッポン放送 月曜 5:00-6:00 火-金 4:30-6:00
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
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