硯の文化を継承するということ
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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、製硯師の青柳貴史が出演。硯の仕事を継ごうと決意した経緯について語った。
黒木)今週のゲストは浅草の書道用具専門店、宝研堂の4代目でいらっしゃいます、製硯師の青柳貴史さんです。4代目としてお父様の跡を継ごうという決意をなさったきっかけは何だったのですか?
青柳)小さい頃から、僕の遊び場は祖父と父が働いていた工房でした。毛筆があって、毛筆を使っている書家の先生方やお坊さん、画家の方がいらっしゃいました。また工房ではおじいさんと父が硯を彫っていたので、見回せば四方が全部、硯と毛筆、書道という文化に囲まれていたので、他のものは見えなかったのですね。
黒木)とは言え、「父の跡を継ごう」と決意なさる瞬間があったのですよね?
青柳)師匠でありますけれど、父や祖父のことが大好きでした。ひたむきに硯を作っている父の背中が僕に多くの教えをくれていたと思います。
祖父が亡くなる3日前、祖父と会話するのはそれが最後になりましたけれども、僕のことを呼んで「そこのノミを取ってくれ」と言うのですね。病室が工房に見えているようでした。穏やかな祖父でしたが、そのときの言葉は強い言葉でした。「短径はこうやって彫るのだ」とか、「そこの石を取ってくれ」ということを朦朧と病室で僕に話しかけたのです。そこにない石とないノミを取るふりをすると、そこで寝たまま手を動かしていました。
1人の長旅をした男が人生の最後を振り返ったときに見えた景色、そこを見たのだなと思ったとき、硯を作るということは生涯をかける仕事なのだろうと思いました。
祖父との最後の晩で決意をして、大学に行かせてはいただきましたけれども、途中で大学を辞めて、この道に入り、硯の勉強をしに中国へ行ってしまおうと思ったのです。
黒木)同じ景色を見ようと決意されたわけですね。
青柳)親孝行につながっていればいいのですが、祖父や父がやろうとしていた硯の技術を継承する。この硯を継承するという文化への貢献と、社会貢献になる仕事をし続けることができたら、ひょっとしたら祖父も「いい時代にしたね」と言ってくれるのではないかなと思います。
青柳貴史/製硯師■大学在学中に、病床に伏せていた祖父より「教えるから硯を彫れ」と言われ製硯師の道に進む事を決心、21歳で大学を中退して父親に弟子入り。
■1939年創業の書道用具専門店「宝研堂」4代目となる。“製硯の貴公子”と呼ばれ世界的にも認められる製硯師。祖父、青栁保男氏は中国で修行をして現地伝来の彫りを学び、父、彰男氏は雄勝(宮城県石巻市の雄勝硯は伝統工芸)に丁稚奉公をし、和硯の彫りも学んだ。
■製硯師として以外にも、大東文化大学文学部 書道学科非常勤講師といった教育者としての一面もあり、また定期的に自身の硯で個展をひらいている。
■オーダーメイドの硯製作だけではなく、修理・復元まで全てを手掛けている。そのため山に自ら採石に行くこともあり、どんな石が採れるのか知りたい、その石の特性を理解したいという硯への強いこだわりがある。
■硯づくりのなかで曲げてはいけないと思う精神は、山々や自然の表情を殺さないつくりを徹底すること。自分たちが石に刃物を入れるとき、自然に対する敬意を忘れないようにしている。
■2018年2月に著書『製硯師』を出版。
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