硯を人肌に温め、人肌の水で墨を磨る~豊かな時間
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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、製硯師の青柳貴史が出演。硯の素晴らしさについて語った。
黒木)今週のゲストは浅草の書道用具専門店、宝研堂の4代目でいらっしゃいます、製硯師の青柳貴史さんです。青柳さんの硯にかける情熱をお聞かせください。
青柳)そうですね。硯が発祥したことを僕は大事にしています。硯のルーツとなるものは紀元前のずっと大昔です。もともとは絵画、壁画とか絵を描くときの調色器具というパレットが硯の前身です。いま漫画で有名なキングダム、映画化もされていますけれど、キングダムや秦の始皇帝の時代。あの時代の少し前に甲骨文字という漢字の始まりが生まれています。そこから秦の始皇帝の時代に篆書(てんしょ)と呼ばれている、みなさんがよくお使いになっている実印などにも使われる書体が書かれるようになりました。
その頃に毛筆が使われ始めています。毛筆は動物の毛を束ねてできた筆記用具です。そうすると液体状の墨が必要になる。そして硯が生まれ、徐々にいまの形に近付いて行きます。
その頃、墨を磨るための硯が求められたときに書かれた字の大きさは、せいぜい大きくても50円玉くらいです。伝達手段としてお手紙のように使われていたのですね。あとは政(まつりごと)の記録手段でした。
いまではLINEやSNSやメールがありますが、昔はすべて小筆でその場の記録をしたり、メモを書いたりしていました。
黒木)しかも紙というものが貴重でしたからね。小さく書かないといけなかったのでしょうね。
青柳)紙も貴重でしたし、字も大きく書くという概念もなかったですし、必要性もなかった。実は皆さんが小学校の頃に使っていた硯の大きさ、あれでは授業で元気な字を50枚書くことは難しいのです。実際にあの大きさでできるのは2,3分墨を磨って、お手紙を書くくらいがちょうどいい大きさなのです。いちばん大事なのは、これをハートフルな筆記用具としてその方の生活に寄り添って使っていただくことです。そのために材料があって、その素材をどう調理してその方の一生に寄り添って行けるか。それだけに僕はフォーカスして仕事をしています。
黒木)青柳さん自身も毛筆で書かれたりするのですか?
青柳)僕はオーダーメイドの硯をお受けして、お作りさせていただいていますが、お渡しする前に硯で磨って、「このように作りました。お納めください」とお礼状を毛筆でお渡ししています。僕の場合はファックスよりも、墨を磨って書いた方が早いのです。
黒木)この硯にお水を入れますよね。その水は何でもいいのですか?
青柳)こだわる方もいらっしゃいます。硬水がいい、軟水がいい。富士山の水がいいとか。
黒木)磨りやすいというのでしょうか。
青柳)そうですね。硯は石でできているので、冷えてしまっていると墨がおりにくいので少し人肌程度に温めてあげたり、水も常温に戻したものを入れたりします。
黒木)深いですね。
青柳)墨のなかには香料が入っています。あの香りは水と温度で反応して出ます。人肌程度になった硯で、冷たくないこだわった水で墨を磨って香りを楽しんで、そしてお手紙を書く。そういう贅沢な時間が僕は好きです。
青柳貴史/製硯師■大学在学中に、病床に伏せていた祖父より「教えるから硯を彫れ」と言われ製硯師の道に進む事を決心、21歳で大学を中退して父親に弟子入り。
■1939年創業の書道用具専門店「宝研堂」4代目となる。“製硯の貴公子”と呼ばれ世界的にも認められる製硯師。祖父、青栁保男氏は中国で修行をして現地伝来の彫りを学び、父、彰男氏は雄勝(宮城県石巻市の雄勝硯は伝統工芸)に丁稚奉公をし、和硯の彫りも学んだ。
■製硯師として以外にも、大東文化大学文学部 書道学科非常勤講師といった教育者としての一面もあり、また定期的に自身の硯で個展をひらいている。
■オーダーメイドの硯製作だけではなく、修理・復元まで全てを手掛けている。そのため山に自ら採石に行くこともあり、どんな石が採れるのか知りたい、その石の特性を理解したいという硯への強いこだわりがある。
■硯づくりのなかで曲げてはいけないと思う精神は、山々や自然の表情を殺さないつくりを徹底すること。自分たちが石に刃物を入れるとき、自然に対する敬意を忘れないようにしている。
■2018年2月に著書『製硯師』を出版。
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