児童文学作家・那須正幹~原爆については書き続けたい
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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、児童文学作家・那須正幹が出演。広島で被ばくした経験について語った。
黒木)今週のゲストはズッコケ三人組などで知られる児童文学作家の那須正幹さんです。以前と比べると、執筆時間は変わっていますか?
那須)いまは注文が少なくなったけれど、多いときには1日に原稿用紙で10枚は必ず書いていました。
黒木)つくって行くものだから、大変ですよね。
那須)自分でも天才ではないかと思います。次々と話が出て来るのです。
黒木)急に思いつくのですか? 閃いてしまう?
那須)そうですね。
黒木)タイトルが面白いですよね。そして、やっぱりご出身の広島の話が多いですね。『ヒロシマ 歩きだした日』、『広島お好み焼物語』という著作もあります。
那須)広島のお好み焼きのルーツを探ったノンフィクションです。
黒木)広島、故郷への思いが熱くあると思うのですけれども。
那須)3歳のときに被ばくしました。爆心地から直線距離で3キロでした。家族に死者は出ませんでしたが、父親は原爆症で1年間寝たし、家も屋根が吹き飛びました。3歳でしたが、かすかに覚えているのですよ。僕の人生の原点は原爆のことがあって、最初のうちはそんなに書くことに興味はなかったのですが、長男が産まれて、やはりあのことは書かなければいけないと思って。ちょうど広島から山口県に引っ越していたことも、動機の1つにあると思います。描き出したら、あのことも書いていない、このことも書いていない、というものが出て来ました。自分のテーマの1つとして、原爆は書き続けたいと思っています。
黒木)児童文学という括りのなかで、広島で生まれて被ばくされたという経験が後押ししているのでしょうか?
那須)とにかく、あの日起こったことをいまの若い人に伝えたいし、いまの若い人もそのことを本だけでなく、原爆や戦争について出会いの場をたくさんつくってあげたいです。少しでもいいから、「あの日はこうだったのだな」と想像してもらいたいという気持ちです。僕の義務だと思います。
黒木)まだまだ書き続けて行かなければなりませんね。
那須)あの日に起こったことは『絵で読む広島の原爆』もそうだし、戦後の原爆の像建立運動のことも書いたし、戦後の広島でお好み焼き屋さんをしている女性の三代記も書いて、だいたい広島のことは書きました。いまは、これからの子どもたちのことを書きたいです。いまの日本は、嫌な雰囲気ではないですか。子どもたちに僕らと同じ体験はさせたくないから、形はまだはっきりしないけれど、そういう近未来小説を書いておきたいですね。
黒木)伝えたいことがふっと閃いて。
那須)70数年前のことを、いまの子どもたちに伝えるのは至難の業です。だけど、やらなければいけないことだと思っています。
那須正幹(なす・まさもと)/児童文学作家
■1942年、広島市生まれ。
■島根農科大学林学科(現在の島根大学生物資源科学部)で森林昆虫学を専攻。
■卒業後、東京で自動車の営業マンとして働くも、2年ほどで辞め、広島の実家に帰省。実家の書道塾を手伝うかたわら、広島児童文学研究会に入ったのをきっかけに児童文学の創作を開始。
■1970年、『首なし地ぞうの宝』が第2回学研児童文学賞佳作に入選。1972年に学研から刊行され、作家デビュー。
■1978年からは『それいけズッコケ三人組』に始まる「ズッコケ三人組」シリーズを発表。その後、3人の40代を描いた「ズッコケ中年三人組」シリーズも執筆。全61巻は累計2500万部という大ベストセラーとなり、2015年に完結した。
■現在までに出版された単行本は220点以上。ノンフィクションからSF・ミステリー・ユーモア・時代物・冒険物・文芸物など、さまざまなジャンルで作品を発表された。
■2019年度JXTG児童文化賞を受賞。
◎「ズッコケ三人組」シリーズ(1978~2015年)
■全61巻、累計2500万部の大ヒット児童文学。
■元気いっぱいだけどおっちょこちょいの「ハチベエ」、物知りなのにテストは苦手な「ハカセ」、体が大きく動作がスローモーな「モーちゃん」の小学6年生3人組が、短所を補い合って、探検や事件解決に活躍する物語。
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳