黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、アボリジナルアート・コーディネーターの内田真弓が出演。アボリジナルアートについて語った
黒木)毎週さまざまなジャンルのプロフェッショナルにお話を伺う「あさナビ」、今週のゲストはアボリジナルアート・コーディネーターの内田真弓さんです。内田さんはオーストラリアのメルボルンに在住なさっていますが、日本と行き来をしていらっしゃるそうですね?
内田)普段の生活はメルボルンなのですが、今回のように日本でイベントなどがあると帰国します。
黒木)アボリジナルアートを日本の方々に知ってもらいたいと、日本に帰国することが多くなったということですか?
内田)そうですね。
黒木)今回は、新宿伊勢丹で開催中の『アボリジナルアート展』をプロデュースするために帰国されたということです。アボリジナルアートとは、どういうものなのですか?
内田)オーストラリアはご存知の通り孤立した大陸で、先住民のアボリジニという遊牧民が家畜も飼わず、農耕も行わずに狩猟採集や狩りだけで、季節を上手にコントロールしながら水を求めて移動していました。そしてイギリス人が230年前に、そこに植民地として旗を立てました。アボリジニの人にとって、大地を所有するという概念はありません。5万年もあの大陸で狩猟採集をして生きて来た彼らは、アボリジニアートを描きました。彼らは文字を読んだり書いたりしない、無文字社会で生きて来た人たちなのです。絵を描くということは、彼らにとって過酷な自然条件で暮らすための、大事な大地とのコミュニケーションなのです。「水場がどこにあるか」というような、生き延びるための自然のルールを表しました。文字を持たない彼らにとって、絵を描くということは芸術ではなく、確実に次の世代が生きるための情報や手段、部族間の大事なルールなどを伝える手段なのです。非常に奥の深いストーリーを、文字の代わりに歌って踊って、耳で記憶する。そして絵を描いて、目で記録する。それが次の世代、2000世代以上にもわたって伝達されているものです。
黒木)オーストラリアの原住民の方々が、アボリジニということですね。
内田)実は単一民族ではありません。イギリス人がやって来るまでは600以上の言語集団に分かれて、大きな大陸にそれぞれ点在していた人たちです。もとからいた人たちという意味でアブオリジン、ジェネラルな総称としてアボリジナル民族という言い方を、現在はしています。
黒木)現在、彼らは国に守られているのですか?
内田)以前は保護地域として設けられていました。しかし、1967年に市民権を取得しました。
黒木)最近ですね。
内田)そうなのです。先住民なのに、オーストラリア人として認識されたのは50年足らずなのです。現在は国も彼らを平等にサポートしますし、年金制度などの福祉も充実しています。ただ、アボリジナルアートは誰がどこで描くかでアボリジナルアートであるかということが、いま議論されています。都市部で暮らすアボリジニの方々も、アボリジナルアートは描きます。しかし、私が魅せられているのは都市部ではなく、中央の砂漠で生活しているアボリジニの方の絵です。私は絵の向こう側のお話、そこをすごく知りたい気持ちになって追い求めているのだと思います。
内田真弓(うちだ・まゆみ)/アボリジナルアート・コーディネーター
■航空会社に勤務後、1993年、アメリカへ1年間語学留学。
■1994年、ボランティアの日本語教師としてオーストラリアへ。日本帰国直前に先住民アボリジニアートに衝撃的に出会い、深く魅せられる。
■メルボルン市内のアボリジニアートギャラリーで6年間勤務したあと2000年に独立起業し、「ART SPACE LAND OF DREAMS」を立ち上げ。
■メルボルンを拠点に、日本での展示会プロデュース、アートの販売、講演、メディアの撮影コーディネート等を行うアボリジニアートのパイオニア的存在。
■2008年にはKKベストセラーズより『砂漠で見つけた夢』を出版。
■1年の大半をアボリジニの人々と多くの時間を過ごしています。
<アボリジナル・アート>
■大自然のなかで狩猟・採集生活をしていたオーストラリア先住民が、情報の記録や伝達のために使った絵画表現。
■彼等は、絵を描くことでコミュニケーションをとり、もともと天然の粘土を使い、砂絵、ボディペインティング、また岩壁などに絵を描き生活手段として使われて来た。
■70年代に西洋のアクリル絵具とキャンバスによって描かれはじめたのが「アボリジナルアート」の始まりとされる。
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳