【ライター望月の駅弁膝栗毛】
昔もいまも、旅のお供には、やっぱり「駅弁」!
新幹線で、特急列車で、観光列車で、あるいはのんびり各駅停車で……。
掛け紙を外し、ふたを開けると、折には、ご当地の幸と食文化が詰まっています。
今年(2020年)は、駅弁の誕生から135年とされる年。
この節目に改めて、「駅弁」のルーツをおさらいしてみたいと思います。
伺ったのは、日本鉄道構内営業中央会の沼本忠次(ぬまもと・ただつぐ)事務局長。
沼本さんは、昭和22(1947)年、静岡県生まれ。
昭和41(1966)年に国鉄入社後、東京西鉄道管理局管内を中心に勤務、分割民営化後はJR東日本に入社され、平成16(2004)年、びゅうプラザ新宿を最後に退職。
平成21(2009)年から、日本鉄道構内営業中央会に在職されています。
-今年で駅弁135年と云われていますが、駅で最初に売られたものは何ですか?
日本で初めて鉄道の営業運転が始まった明治5(1872)年、横浜在住のイギリス人、ジョン・ブラックという人物が、「新聞」を販売した記録があります。
当時の鉄道頭・井上勝に販売許可を申請し、6月15日に認可されました。
詳しい駅名は文献に書かれていませんが、当時は、品川~横浜間の仮営業でしたから、おそらくは品川・横浜(現・桜木町)といった駅ではないかと思われます。
-そんな鉄道草創期からある構内営業の1つに、「駅弁」の販売があるわけですが、最初の駅弁は「宇都宮」と云われていますよね?
諸説ありますが、明治18(1885)年7月16日、宇都宮の伝馬町で「白木屋」という旅館を経営していた斉藤嘉平という人物が、黒ゴマをまぶした梅干入りのにぎり飯を2個、たくあん2個を竹の皮にくるんで、5銭で販売したのが、最初の駅弁と云われています。
この7月16日は、私鉄の日本鉄道の路線として宇都宮駅が開業した日で、利根川は舟で渡っていて、列車は1日4往復、宇都宮駅も原っぱのなかにあったと言います。
-なぜ宇都宮だったのでしょうか?
これまでに出されている文献では、「白木屋」に宿泊した日本鉄道の重役の方が、販売を勧め、説得したことで、駅弁の販売が始まったとするものがあります。
この文献では、鉄道開通、駅舎落成と同時に、宇都宮駅舎内改札沿いの売店、および立ち売りで駅弁の他、パンや菓子類なども販売したとされています。
但し、このころは人前でものを食べる習慣はあまり定着していなかったとも云われています。
-「諸説ある」とのことですが、どのような説があるのでしょうか?
明治10(1877)年神戸駅説や大阪駅説、明治15(1882)年長浜駅(滋賀県)説、明治16(1883)年上野駅説や熊谷駅(埼玉県)説といったものが、文献などに出ています。
おそらく明治10年代には登場していたと思われますが、駅弁屋さんは個人商店が多く、社史を残しているところは比較的少ないんです。
また都市の業者の史料は、関東大震災や第二次世界大戦などで焼失してしまいました。
-宇都宮の他、小山駅説も聞いたことがありますが、上野や熊谷といった、比較的、北関東に近いエリアに発祥とされる駅が多いのは、なぜですか?
いまの東北本線や高崎線は、「日本鉄道」という私鉄によって開業しました。
このため、官設鉄道だった東海道本線などと比べて、営業やサービスに積極的だったのではないかという見方ができるかも知れません。
とは言っても、鉄道開業当初の利用者は、議員や官僚、軍人、豪商の大旦那といった、限られた人でしたでしょうから、駅弁はあまり売れなかったと云われています。
-誕生したころの駅弁は、どのように販売していたのでしょうか?
いまでは数えるほどになってしまった、「立ち売り」だったのではないかと思われます。
その起源についての文献はありませんが、明治21(1888)年創業の東海道本線・国府津駅弁「東華軒」の社史などには、2代目(女性)の御主人が貿易商としてイタリアに渡り、現地の鉄道で立ち売りのような販売をしていたのを見て、初めて取り入れたとあります。
文献でわかる範囲では、明治21(1888)年以降には行われていたということになります。
(日本鉄道構内営業中央会・沼本事務局長インタビュー、つづく)
いまも首都圏の駅弁売り場で、早朝を中心に販売されているのが、「JR東日本フーズ」が製造する「おにぎり弁当」(500円)です。
梅と鮭のおにぎり2個、たくあん2個の基本に加え、ちょっとしたおかずも付いて、早朝の旅立ちに小腹を満たすにはピッタリの駅弁となっています。
パッケージに“旅のレストラン 日本食堂”のロゴが入っているのもいいですね!
【おしながき】
・おにぎり(梅、鮭)
・鶏の唐揚げ
・玉子焼き
・かまぼこ
・大根味噌漬け
東北・上越新幹線の開業まで、多くの特急列車が行き交った、かつて日本鉄道線だった東北本線・高崎線ですが、現在は651系電車が高崎線を中心に活躍しています。
日中は、上野~長野原草津口間の特急「草津」、朝夕は上野~本庄・高崎・前橋間の、特急「(スワロー)あかぎ」号としての運行。
通勤の合間にも、昔の駅弁旅に思いを馳せてみるのもよさそうです。
(参考文献)「日本鉄道構内営業中央会70年史」「駅弁小史」「汽車辨文化史」ほか
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/