日航ジャンボ機墜落事故から35年~事故後に入社した社員は96.5%

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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(8月12日放送)に数量政策学者の高橋洋一が出演。事故発生から35年となる日航ジャンボ機墜落事故について解説した。

機体後部の圧力隔壁の修理ミスが原因

520人が犠牲となった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から、8月12日で35年を迎える。墜落現場である御巣鷹の尾根のふもと「慰霊の園」で行われる追悼慰霊式は、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小して行われる。

飯田)35年前、当時の記憶がある方もいらっしゃると思いますが、生まれていなかった方もいると思いますので、概要を紹介します。1985年8月12日午後6時56分、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に、羽田発大阪行きの日航123便ジャンボ機が墜落しました。乗客乗員524人のうち520人が犠牲となり、4人が生存となった、単独機の事故では史上最悪の惨事でありました。ボーイング社の作業員が機体後部の圧力隔壁の修理をミスして、日航や運輸省の担当者が見逃し、運航するにしたがって亀裂がだんだんと広がって行ったのが原因と、当時の運輸省航空事故調査委員会は結論付けています。

高橋)私はたまたま地方で税務署長をしていたので、赴任後のあいさつ回りをしているときでした。情報を聞いて、ものすごく驚いたのを覚えています。あれから35年が経つのですね。この季節になると思い出されます。

日本航空の社員のうち、墜落事故後に入社した人が96.5%~風化させてはいけない

飯田)日本航空の社員1万6000人のうち、墜落事故後に入社した人は96.5%です。事故後に生まれた社員も35%いるということです。

高橋)だんだん風化して行くのは恐ろしいですね。

飯田)どうやってつないで行くかというところで、事故を経験した人たちのコメントをビデオで募るということを、JALでやっています。また、安全啓発センターというところで、圧力隔壁や遺品が展示されています。

高橋)たしか、坂本九さんが乗っていましたよね。東京~大阪間でしたから、ビジネス便でいろいろな方が乗っていたようです。圧力隔壁がなくなり尾翼が飛んでしまって、飛行がうまくできなかったけれども、ジェットエンジンの噴射をしながら頑張り、最後は尽きてしまったという悲しい話です。圧力隔壁がなくなった後、何十分か飛んでいたのですよね。

飯田)30分くらいは。

家族へ向けたメッセージなど乗客がさまざまなものを残している

高橋)その30分の間に、乗客の方がいろいろなものを残しているのですよね。それを見聞きすると切ないです。

飯田)犠牲者の方々が家族へ向けたメッセージなど、さまざまなものが残っています。事故の教訓をどう生かすのか、いろいろな試みをしているということです。鉄道会社や運輸に関わる、違うジャンルの人たちも研修で行くそうです。

高橋)修理ミスだと手の施しようがないですからね。

新型コロナの影響で経営に苦しむ航空業界

飯田)その後はマニュアルを変えたり、いろいろやっているようです。一方でJALとANAですが、最近はコロナの影響もあり、非常に大変です。

高橋)JALとANA、2つ必要なのかという議論も出るかも知れません。このまま行くと、かなりの確率で倒産するでしょう。薬やワクチンができるまで、旅行需要は回復しづらいです。大きな会社だから、資本注入という手があるので、航空線がなくなるということはないと思います。

飯田)何よりも安全が第一であると。

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