静岡駅「うなぎめし」(1700円)~東海の親不知・大崩海岸
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【ライター望月の駅弁膝栗毛】
東海道新幹線を颯爽と走るN700S新幹線電車。
この時間は、新幹線の各駅に停まる「こだま」としてやって来ました。
「こだま」は、静岡駅を出て安倍川を渡ると、左へ大きくカーブを描きます。
ここから日本坂トンネルの手前までが、海側A席からも富士山が見える一瞬の間。
もちろん、空気が澄んだ天気がいい日限定のスペシャルな車窓です。
この日本坂トンネルがあるのは、かつては「東海の親不知」とも言われた大崩海岸。
静岡市駿河区と焼津市の境に位置する、約4Kmの勇壮な海岸線で、天気がよければ、駿河湾越しに富士山や伊豆半島が見える景勝地として知られています。
ただ、「大崩」の名の通り、崩落が多い海岸としても知られ、かつての国道150号も犠牲者を出した崩落事故をきっかけに、海上に迂回する道路が新たにつくられたほどです。
(参考)焼津市、国土交通省ホームページほか
大崩海岸とは、東海道本線も明治22(1889)年の開業以来、格闘を続けてきました。
昔はいまよりも海側を通っていましたが、昭和19(1944)年からは、弾丸列車計画で掘られた日本坂トンネルに移り、新幹線工事に伴って、現在のルートになったと言います。
当時の坑門跡は、昭和23(1948)年のアイオン台風で被災して以降、崩落が続いており、荒波にも洗われて、時代が下るにつれ、だんだんと自然に返りつつあるかのようです。
(参考)リニア・鉄道館「東海道新幹線の誕生」、「鉄道ピクトリアル」2013年2月号ほか
この区間を列車が走ったのは、明治の半ばから昭和の戦前にかけての約55年間。
煙をモクモクと吐き出す蒸気機関車がけん引する列車から、ほんの一瞬顔をのぞかせていた駿河湾は、さぞ美しかったことでしょう。
なお、東海道本線・静岡~浜松間の電化は、昭和24(1949)年ですから、5年近くの間、いま新幹線が駆け抜けている日本坂トンネルを、蒸気機関車が走っていたわけですね。
さて、東海道本線と共に発展してきたと云われるのが、静岡のうなぎ。
浜名湖周辺や大井川流域では、盛んに養殖が行われ、昭和の高度経済成長期には、静岡県は日本一の生産量を誇りました。
時代が移っても、せっかく東海道を旅するなら、駅弁は「うなぎ」という方も多いハズ。
いまも静岡駅弁「東海軒」では、「うなぎめし」(1700円)が販売されています。
(参考)静岡県ホームページほか
【おしながき】
・ご飯
・うなぎの蒲焼き
・玉子焼き
・山葵菜
・たれ
・山椒
昭和4(1929)年発売と言いますから、90年以上の歴史を誇る駅弁「うなぎめし」。
東海軒によると、最大のこだわりは味付けなのだそう。
昔から受け継がれてきたという、秘伝の甘辛のたれで焼き上げられたうなぎの蒲焼きが、白いご飯の上に載り、お好みでたれをプラスして、より香ばしくいただくことができます。
戦前、大崩海岸を間近に眺めて、この駅弁をいただいた旅人がいたかも知れません。
自然を前にしながら、より安全で快適な路線を目指し、改良が続けられる鉄道路線。
130年あまりの歴史を誇る東海道本線では、御殿場経由が熱海経由に変わったり、勾配を緩和した別の線路が造られるなど、全区間でさまざまな改良が行われています。
東海道新幹線でビュンと移動するもよし、ときには在来線で途中下車と駅弁を楽しみつつ、古の旅人たちに思いを馳せるのもまた、味わい深い旅になることでしょう。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/