創業120周年の老舗駅弁屋さん、そのルーツとは? ~松江駅弁・一文字家

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。

120年前の日本は、産業革命の進展とともに日清戦争から日露戦争へと進んでいた時期。日露戦争の日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊を打ち破り、勝利に導いた海軍の東郷平八郎は英雄となりました。そんな東郷元帥が、皇太子殿下(のちの大正天皇)のお付きとして島根・松江にやってきたとき泊まった宿は、創業からまだ6年の「一文字家」。なぜ“新しい”宿に元帥は泊まり、駅弁の製造を手掛けるようになったのか、伺いました。

キハ187系気動車・特急「スーパーおき」、山陰本線・三保三隅~折居間

キハ187系気動車・特急「スーパーおき」、山陰本線・三保三隅~折居間

「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第30弾・一文字家編(第2回/全6回)

5時間あまりをかけて、山口線・山陰本線経由で新山口~米子・鳥取間を結んでいる、特急「スーパーおき」。愛称は日本海の「隠岐諸島」に由来します。在来線特急としては運行時間が長い列車の1つですが、車両は軽快なキハ187系気動車の2両編成。とくに山陰本線では、美しい日本海が車窓を彩ります。11月に入って山陰の海ではいよいよ「松葉がに」が解禁となりましたね。

松江駅から路線バスで約15分、市バス平成町車庫の前に本社を構えるのが、明治41(1908)年の松江駅開業から駅弁を手掛ける「合資会社一文字家」です。そのトップは、景山家10代目・直観(なおみ)代表社員。駅弁膝栗毛の恒例企画、「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第30弾は、この一文字家・景山社長に一文字家の歴史から、名物駅弁の誕生秘話までたっぷりと伺いました。

合資会社一文字家・景山直観代表社員

合資会社一文字家・景山直観代表社員

景山直観(かげやま・なおみ) 合資会社一文字家 代表社員

昭和36(1961)年10月3日生まれの60歳。島根県松江市出身。全国展開する老舗ホテルチェーンや会計事務所の勤務を経て、一文字家入社。景山家としては10代目。

松江城周辺の夕景

松江城周辺の夕景

●創業120周年! 松江藩ゆかりの景山家、廻船問屋から旅館業へ!

―景山家は、もともとどんなことをされていたのでしょうか?

景山:景山家はもともと、松江藩の「木実方(きのみがた)」という役職を務めていました。藩内に植えられていたハゼの実を絞ってろうそくを作る事業です。専売制で藩の大きな利益を生んでいました。そこから転じて商人となり、北前船の廻船問屋を経営していました。船で来た人たちが泊まる場所が必要になり、旅館を始めたわけです。旅館は松江城近くの殿町にありました。木造3階建で部屋からは、よく大山(だいせん)が見えたと言います。

―「一文字家」としては、今年(2021年)が創業120周年なんですね。

景山:会社組織として「一文字家」が創業したのが、明治34(1901)年のことです。なので、今年が120周年となります。初代社長は、景山藤七朗(とうしちろう)と言います。景山家では歴代「藤七朗」という名前を受け継いでいました。明治40(1907)年には、当時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の行啓に付き添われてきた東郷平八郎元帥が、「一文字家」の旅館にお泊まりになったことがあります。

一文字家・松江駅売店、「出雲そば たたら屋」を併設している

一文字家・松江駅売店、「出雲そば たたら屋」を併設している

●山陰本線・松江駅開業と同時に構内営業者に!

―鉄道の構内営業に入られたきっかけは?

景山:旅館をやっていますと「弁当」の需要が生まれます。催しなどで弁当を作って欲しいというお客さまが出てきて、弁当作りに長けていくようになりました。そこで、明治41(1908)年の鉄道開通時に殿町から駅前に支店を出しました。合わせて松江駅の構内営業者として認められ、支店で作った弁当を、駅へ持って行って「駅弁」として販売していました。以来、旅館と弁当店の二足のわらじでずっとやってきました。

―鉄道開通に対する功績のようなものがあったのでしょうか?

景山:資料が残っていないので、私の「想像」になってしまいますが、殿町という場所は、行政や国の出先機関が集まっている場所でした。その関係者の方が、旅館や宴会のお客様となることが多かったと思います。そこで、鉄道敷設に関する情報を耳にしたり、または人脈を培ったことが、構内営業への参入につながったのではないかと思います。当時は、簡単に構内営業者になれるような状況ではなかったと思いますから。

●代替わりすると、屋号も変わる!?

―昔の掛け紙を見ると、一文字「屋」という表記の時代もありますね?

景山:「一文字家」の表記は代替わりとともに変わっていた時期がありました。最初は一文字「や」、次が一文字「屋」、そして一文字「家」になって、父の代のときは「一文字や」でした。その後、叔父が代表を務めた際は「一文字家」となっていました。なぜ変えていたのか、わかりませんが、私が新社屋を建てた際に、「松江百年の味」という副題を付けました。百年企業というのは、地元の方に支持される美味しい味である、それが弊社いちばんの誇りだという思いから、そのフレーズを付けたのです。

かに寿し

かに寿し

一文字家随一の歴史ある駅弁と言えば「山陰名物 かに寿し」(1320円)です。正確な記録は残っていませんが、昭和30年代初頭にはあったものと考えられていて、いま販売されている松江駅弁のなかでは、最もロングセラーの駅弁となっています。それゆえ、キャッチフレーズは“松江駅永遠のベストセラー”。大きなカニの絵が描かれた掛け紙のデザインは、そのころから受け継がれていると言います。

【おしながき】
・酢飯(島根県飯南町産コシヒカリ)
・ベニズワイガニの酢漬け 錦糸玉子 しその実 ガリ
・あご野焼き
・わかめの佃煮
・とんばら漬け

山陰名物 かに寿し

山陰名物 かに寿し

境港で水揚げされ、漁船から下してすぐに茹で上げたベニズワイガニが、たっぷり使われている一文字家のかに寿し。真ん中にドーンと載った棒肉はもちろん、むき身には錦糸玉子が混ぜられていて、彩りの美しさに魅かれます。おかずには、あご(トビウオ)野焼きに加え、奥出雲の伝統的な漬物「とんばら漬け」が添えられて、松江ならではの「かに寿し」に仕上げられています。

キハ187系気動車・特急「スーパーまつかぜ」、山陰本線・折居~三保三隅間

キハ187系気動車・特急「スーパーまつかぜ」、山陰本線・折居~三保三隅間

かつて、夏の終わりに訪れた山陰の海は、青く透き通った心奪われる色でした。きっと、冬の日本海は、鉛色の空の下、暗めの色なのかも知れませんが、その分、かにをはじめ、さまざまな海の幸が旬を迎えます。次回は、一文字家と意外なつながりのある松江の公共交通機関と、昭和から平成にかけての駅弁販売について伺っていきます。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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