敦賀の老舗駅弁屋さんが20年以上前から「働き方改革&インターネット通販」を始めた理由

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。

コロナ禍で全国の駅弁屋さんが、最も力を入れた取り組みの1つが、インターネットによる通信販売の展開です。この2年、各社手探りで通信販売システムを構築していきました。そんな駅弁のネット通販を、いまから20年以上前、既に始めていたのが、敦賀駅弁の「塩荘」です。しかも、塩荘では、いまではおなじみ「働き方改革」も同じころに始めていました。なぜ、「塩荘」は20年以上も時代を先取りできたのか、トップにお話を伺いました。

225系電車「新快速」、東海道本線・京都~山科間

「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第32弾・塩荘編(第4回/全6回)

「敦賀」と行先を表示した225系電車の「新快速」電車が、京都の街を後にしていきます。平成18(2006)年10月、北陸本線の長浜~敦賀間、湖西線・永原~近江塩津間が、交流電化から直流電化に切り替えられ、「新快速」が敦賀まで直通するようになりました。敦賀まで行く列車は、日中は湖西線経由、朝夕の多くは米原経由。12両編成のうち、大阪よりの8両は、途中の近江今津・米原発着で運行されることが多くなっています。

株式会社塩荘・刀根荘兵衛代表取締役

「新快速」の北端・敦賀で、明治時代から駅弁を手掛けているのが「株式会社塩荘」です。平成9(1997)年から四半世紀にわたって、新快速の敦賀延伸や小浜線の電化をはじめ、敦賀駅の節目に立ち会っているのが、5代目・刀根荘兵衛代表取締役。今回は、昭和から平成にかけての駅弁を取り巻く環境の変化、そして、それに対する「塩荘」の取り組みについて伺いました。

かつてのドライブインは、「港ダイニングしおそう」に

●国鉄分割民営化、駅弁屋さんも「収益」を上げる時代に

―昭和の後半は、特急列車が多数運行され、「車内販売」が主戦場だったそうですが、国鉄からJRに変わって、駅弁を取り巻く環境も変化がありましたか?

刀根:国鉄は「輸送」が仕事で、構内営業は付帯業務として駅弁店に任されていました。その代わり、公共サービスなので年中無休、お客さまがいらっしゃる限り営業して下さいと言われ、「儲ける」という感覚はあまりありませんでした。まさに“国鉄一家”でした。祖父も、「戦争があっても、1日たりとも休まなかったのが誇りだ」と話していました。しかし、JRになって大手私鉄のビジネスモデルに倣い、収益を上げることが求められるようになりました。

―そのなかで、平成元(1989)年に調理工場を「分社化」したのは、なぜですか?

刀根:(これは少し歴史が遡るのですが)塩荘は昭和40年代、私の父がマイカー時代を見越し、国道8号沿いでドライブインを始めていました。しかし20年あまり経って、駅弁とドライブインで業態がだいぶ異なる状況となっていました。駅弁作りは深夜、ドライブインは日中で、従業員の交流もない状態でした。このため、それぞれ独立したほうが業績アップにつながるのではということで、効率性から調理工場を独立させたんです。

塩荘

●食べもの屋さんだけれど、「どんぶり勘定」はしない!

―どのようにして「業績アップ」させていくのでしょうか?

刀根:調理工場と販売部門を別にすることで「どんぶり勘定」をやめ、調子がいい部門と、そうではない部門が分かるようにハッキリとさせました。当時、既に駅弁だけでは厳しくなっていて、駅弁以外にも、地元の仕出しや給食、高速道路のサービスエリアへの納入を手掛けるようになっていました。このため、駅弁以外に特化した営業部門も必要になっていたという背景もあります。

―この時期、自動炊飯システムを導入するなど、技術革新も進められていますよね?

刀根:駅弁大会にたくさん出店するようになったのと、人手の問題がありました。昔のご飯炊きはみんな手作業で重労働でした。寿司飯の酢合わせも手作業。ひとたび、駅弁大会があると1万食単位の受注がありました。すると、従業員が忙しすぎて、体を痛めてしまうほどで、自動化を進めていく必要に迫られていました。そこで、1時間に2000食の製造が可能な自動炊飯システムを導入したというわけです。

押し寿司を作るのも力仕事

●20年以上前から「働き方改革」「ネット通販」を始めていた塩荘!

―じつは「働き方改革」も、2000年代はじめから進められていたそうですね?

刀根:常務と一緒に取り組んできました。駅弁の製造部門は、女性や高齢の方が多いのが特徴です。敦賀では少子高齢化が先取りする形で2000年代とともに始まっていました。駅弁の製造は、早朝・年中無休・交代制ですので、なかなか人が集まりません。ならば、従業員が少しでも働きやすい環境を作っていくのは自然の流れでした。まだ完全ではありませんが、毎週の特定曜日だけ、ピークの数時間だけといった、1人1人の生活様式に合わせた働き方ができるようにはなってきています。

―一方で平成11(1999)年にホームページ開設、翌年にはインターネット通販開始と、2020年代の主流を、かなり先取りしていましたよね?

刀根:「Windows 98」が出たころで、日本でもネット時代が到来という空気になってきました。私も「これからはインターネットが基本」と確信していました。ならば、いち早くと、ホームページを開設して、楽天のシステムを使って駅弁の通信販売もすぐに始めたんです。正直、まだ、多くの人が携帯電話(ガラケー)を持つか持たないかのころで、インターネット通販はあまり売れませんでした。反省点は、通信販売を自社の「駅弁」を売ることにしか活用していなかったことですね。やはり、多くの方の福井のイメージは「カニ」なんです。私たちが長年仕入れている海産物と合わせて、駅弁の認知度を高め、通信販売を展開するのもアリだったのではないかと思います。

越前かにすし

多くの方が、冬の日本海とともにイメージするカニ。敦賀駅弁・塩荘でも、約50年前から、毎年10月~翌年3月の期間限定で「越前かにすし」(1300円)を製造・販売しています。高級感ある黒いパッケージのカニの写真が使われ、裏面には「茹でたてのかにの風味を吟味した米、水、お酢で仕上げたすし飯が受け止めます。その絶妙のハーモニーをお楽しみください」と書かれていて食欲をそそってくれます。

【おしながき】
・かに寿司(酢飯:福井産コシヒカリ・ハナエチゼン、ベニズワイガニ使用)
・ガリ
・かに酢

越前かにすし

パッケージを開けると、心地いい酢の香りとともに、カニの形をモチーフにした折に、ぎっしり詰められたかに寿しが12カン現れました。塩荘によると、期間限定の理由は添加物等を使用していないため、食品衛生上、気温が低くなる時期に販売しているとのこと。添えられている「かに酢」は、お客さまの声から生まれたものだと言います。通常の合わせ酢より少し甘めに味付けされていて、アクセントをつけながらより美味しくいただくことができます。

521系電車・普通列車、北陸本線・敦賀~南今庄間

敦賀駅を発車した福井方面行の普通列車が、敦賀名物かまぼこの工場の脇を抜けて、北陸トンネルを目指します。塩荘でも昔、名物にちなんで蒲鉾づくしの「かまぼこ弁当」を販売していた時期があったそうです。「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第32弾・塩荘の刀根荘兵衛社長インタビュー、次回は食材へのこだわりや、今後、開発したい駅弁について、伺ってまいります。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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