それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
東京・中野区にお住まいの、鈴木哲也さん・54歳。生まれも育ちも中野区で、いまは奥様と小学生のお子さんとの3人暮らしです。
鈴木さんは小さいころから、地元を走る中央線の列車を眺めて育ちました。ちょうど春先はオレンジ色の電車に混じって、信州からの特急「あずさ」や、当時走っていた急行「アルプス」が雪を載せてのぼって来ました。雪に負けず、長距離を駆けて来る列車の姿が、少年の心をくすぐりました。
そんな小学1年生のころ、鈴木さんは家にあった1冊の本に目を止めます。お父様に本について尋ねると、時刻表であることと、使い方を教えてくれました。
「時刻表があると、列車を乗り継いで旅ができるんだ!」……鈴木さんの幼心に、「時刻表」という文字が刻まれました。
鈴木さんは中学生だった1980年、初めて自分の小遣いで時刻表を買いました。時刻表は一見、何でもない数字の列を追っているだけですが、いままで行ったことのない町へ旅をしているかのような気分にさせてくれました。小遣いで買いためた時刻表は、鈴木さんの部屋に毎月1冊ずつ積み重なって行きました。
その後は進学のため、実家を離れて暮らし始めた鈴木さん。あるとき、実家のお母様から「哲、部屋を掃除しといたからね。たくさんある本も処分していいわね?」という1本の電話が鳴りました。
「ちょ、ちょっと待って! 時刻表だけは捨てないで!」
鈴木さんは、小遣いで買いためた時刻表が自分の宝物だったことに気付きます。そして、心に決めました。
「これからも毎月ずっと、時刻表を買おう!」
鈴木さんは毎月、一度も欠かさず時刻表を買い続けています。海外勤めだったときは、家族に頼んで買ってもらいました。50歳を超えたいまは定期購読を頼んで、買い忘れのないようにしています。
さらに古本屋さんを巡ったり、オークションで自分が生まれる前の時刻表なども入手。我が家に貯まった時刻表は、750冊を超え始めていました。
2年前の春、新型コロナウイルスの流行で、鈴木さんも大好きな旅に出かけられず、家で過ごす時間が増えました。鈴木さんはたくさんの時刻表に囲まれながら、ふと思いました。
「コロナ、コロナと、みんな家に閉じこもってばかりだ。せめて気持ちだけでも外へ向けられるように、私にできることはないのだろうか?」
そんな折、鈴木さんのもとに、各地のコレクターを紹介する雑誌の特集企画が持ち込まれました。記者の方の質問に答えるうち、モヤモヤしていたことがすっきりして行くのを感じます。インタビューの最後で、鈴木さんは思わず夢を語りました。
「私……時刻表のミュージアムをつくりたいんです!」
2020年秋、鈴木さんは「時刻表ミュージアム」の開設を決めました。ちょうど、お母様が使っていた部屋が空いたことも、その追い風となりました。30年以上分もの時刻表の整理はもちろん、ミュージアムの設計は困難を極めましたが、夢が叶うと思えば自然と体も動き、およそ1年で完成にこぎつけました。
いざ、「時刻表ミュージアム」に一歩足を踏み入れますと、さまざまな鉄道グッズがお出迎え。壁に据え付けられた本棚には、800冊近い時刻表がズラリと並びます。窓側には、昔の客車のような青い布を使ったボックスタイプの座席も設置。そして真ん中には、「時刻表神社」まであります。
ミュージアムのホームページには、ときおり昔の時刻の問い合わせメールが寄せられます。送って来る方は、「自分史」をまとめようとしているシニア世代。旅の思い出を記すため、おぼろげな記憶を確かめにメッセージを送って来るそうです。鈴木さんは館内の時刻表で調べ、1通1通、丁寧に返信しています。
「版元にも、国会図書館にもなかった時刻表が、ミュージアムにはありました! 本当にありがとうございます」
そんな感謝のメッセージが届くと、鈴木さんも、「時刻表がつないでくれた人の人生に寄り添うことができた気持ちになる」と言います。「時刻表ミュージアム」は4月の終わりごろ、コロナ禍が一定の収束をみたところで、完全予約制による一般公開を予定しています。
「時刻表の空想旅行は、人間ができるいちばん楽しい時間の1つです。デジタルの時代ですが、この施設を、紙の時刻表という『文化』を継承するところにして行きたいです」
鉄道150年の2022年、鈴木さんの夢も走り始めます。
番組情報
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