それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
今回は、SDGsの17の目標のうち、11番目の目標「住み続けられるまちづくりを」についてのお話です。
2019年3月9日の土曜日・朝、東京都東久留米市に住む村上万里さんは、トイレから出て来た際に、ふらついて廊下で倒れたそうです。
「あれ、どうしたんだ? 立ち上がれない。まずいな……」
家族は外出中で、どうにか自分で119番に連絡し、気を失いました。意識が戻ると、病院のベッドの上にいたそうです。脳出血でした。左の手足に麻痺が残り、車イスで移動する毎日です。
村上さんは、福岡県生まれの62歳。元・産経新聞社に務め、営業部長や企画部長を歴任。自ら企画したチャリティキャンペーンが高評価を得て、49歳の時期にマーケティング関連の事業を興し、独立。しかし、東日本大震災で取引先が大打撃を受け、事業から撤退します。
その後、ビル管理会社に転職し、不動産の仲介の仕事をしつつ、本格的に不動産業に参入して行こうとした矢先、大病を患います。
医者から「社会復帰は無理です。諦めてください」と言われ、村上さんは「なにくそ!」とリハビリに励みました。とにかく社会復帰がしたいと、家にこもらず車イスで出かけますが、外出する際には「最大の不安」があります。それは「トイレ」なのだそうです。
村上さんは「あそこと、あそこにトイレがあったな……」と、車イスでも入れるトイレの場所を頭のなかで思い描きながら、出かけるようにしています。
ここ数年、町や施設で見かけるようになった「多目的トイレ」。ところが「使用中」のまま、なかなか人が出て来ないのだそうです。
「やっとドアが開いたと思ったら、お化粧して綺麗に着飾った若い女性が出て来ることがありましたね。更衣室に使っていたんですよ。ときには、若いカップルが出て来ることも……。若者だけではなく、おじさんが出て来たと思ったら、トイレのなかがタバコの煙でね……」
「だれでもトイレ」という表示があるから、誰もが好きな目的で利用しているのだ……そう思った村上さんは、すぐ行動に移します。まずは地元の市役所に事情を話し、「だれでも使えるトイレ」ではなく「優先トイレ」にして、車イスなど障害者のマークが目立つようにして欲しい、と訴えます。
すると市役所の担当者は、「確かにそうですね。わかりました、すぐやります」と、「優先トイレ」の表示と、次のような説明を張り出しました。
「車いす使用者、妊婦、身体の不自由な方など、このトイレを必要とされている方がいますので、思いやりの心を持って利用しましょう」
自分の行動が、バリアフリー共生社会への入り口になるのでは……そう感じた村上さんは、近隣の市役所をはじめとした都内23区、さらに東京都や国土交通省にも、同様の意見をメールで送りました。
「しばらくすると、『すぐに対応します』のような前向きなメールや電話がありました。国も都も、不適正利用を認識していたようで、法律や条例を改正し、『だれでも』から『必要としている人が利用しやすいトイレ』に、ちょうど変えようとしていたタイミングだったんです。だから私の意見もスムーズに受け入れてもらえました」
それでも、バリアフリートイレを目的以外で使用している人は多いようです。
「バリアフリーという言葉が知れ渡っているのに、『どこがバリアフリーだ!』と思うほど、障害者にとってバリア(障壁)が多いのです。障害者になったことで、この社会は決して障害者に優しくないんだな、ということに気づいたんですよ」
村上さんに「バリアフリーの基本」を伺うと、まず「気づく」こと。そして「理解」し、最後に「思いやる心」が大切だと言います。つまり、「気づいて気遣うバリアフリー」であって欲しいと……。
また村上さんは、元・産経新聞の企画部長だけあって、ネーミングの名人です。例えば「バリアン」という言葉……バリアフリートイレを占拠する人や、歩きスマホで車イスにぶつかって来るような人のことだそうです。つまり、人間もバリア(障壁)になっているのですね。村上さんは「皆さん、『ノンバリアン』でいてくださいね」とおっしゃいます。
村上さんは車イスユーザーとしての目線で、すべての人に優しいバリアフリー共生社会の実現を目指し、「当事者目線バリアフリー研究所」を立ち上げました。
新聞社、マーケティング、不動産会社などの経験を活かして、「この社会から、あらゆるバリア(障壁)を打破したい」と意欲を見せる村上万里さんの活動は、いま始まったばかりです。
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ