広島・三原の老舗駅弁屋さんが、空港と福山に「進出」した背景とは?
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「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
令和4(2022)年8月で築城400年を迎える「福山城」。これに合わせたリニューアル工事は順調に進んでいるようです。山陽新幹線福山駅の上りホームは、お城のビューポイントとしてもよく知られています。現在、この福山駅の駅弁を手掛けているのも、広島・三原市に拠点を置く「株式会社浜吉」。1990年代以降の、「浜吉」の新たなチャレンジについて、トップに伺いました。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第35弾・浜吉編(第4回/全6回)
福山駅の高架線路をゆっくりと下りてきたのは、福塩線の普通列車。山陽本線の福山と、芸備線の塩町を結ぶ福塩線は、約80kmのローカル線です。途中の府中まで電化され、その先は、1日5往復ほどのディーゼルカーが走る路線となります。福山近郊も日中は、2両編成のワンマン列車が主力ですが、朝夕は、岡山から3両編成の電車が助っ人に入ります。この日は懐かしい湘南色の編成が、高校生たちをいっぱい乗せていました。
この福山駅に平成15(2003)年、三原から進出して駅弁を販売するようになったのが、「株式会社浜吉」です。6代目の赤枝俊郎(しゅんろう)代表取締役が手にしているのは、福山向けに作られた幕の内弁当「福山」の掛け紙。今回は、「進出」を1つのテーマに、1990年代、赤枝社長のトップ就任前後からのお話をたっぷりと伺いました。
●広島空港開港に合わせ、「空弁」進出!
―昭和の終わり、瀬戸大橋開業で大打撃を被った浜吉ですが、平成4(1992)年には、新しい工場を建てられました。これはなぜですか?
赤枝:平成5(1993)年の広島空港開港がきっかけです。もともと、空港は広島市内にあったんですが、広島市の海側は手前に島があって大きな滑走路を作ることが難しく、呉の候補地も天候が安定しないということで、本郷町(現・三原市)に落ち着いた経緯があります。(空港の立地が近くなったことに加えて)私も乗り物好きでしたので、広島空港では「空弁」の販売も手掛けるようになりました。
―駅弁と空弁、違いはありますか?
赤枝:空弁は背面テーブルに合わせて一回り小さく作るのが特徴で、作り方は駅弁と同じです。飛行機は列車以上に人と人との距離が近いので、隣のお客様が弁当の匂いが気にならないように、できるだけ匂いの強い食材は使いません。青魚より白身魚ですね。これは駅弁でも同じです。近年、関西のほうで食べ物の匂いについて話題になりますが、老舗駅弁屋さんなら、本人だけに香り、第三者には匂わないよう、注意深く作るはずです。
●空港に救われた、震災による長期運休
―平成7(1995)年の阪神・淡路大震災では、山陽新幹線が約3ヵ月ストップしましたが、どのような影響がありましたか?
赤枝:浜吉は広島空港に進出していたお陰で、空港の販路がありそこまで落ち込まずに済みました。逆に伊丹発広島行の臨時便がジャンボ機で運航されたりしましたので、その対応のため、夜通しで弁当の準備に当たったこともあります。当時は、広島空港発着の国際線におけるスーパーシートの特別食なども「浜吉」が手掛けていました。朝6時から夜11時までフル稼働だったと記憶しています。
―一方で新幹線の車内販売も、当時はまだあったそうですね?
赤枝:車内販売は、国鉄時代から新幹線になってもやっていました。「ウエストひかり」はもちろん、平成12(2000)年に「ひかりレールスター」が運行を開始した際は、大変よくお買い求めいただきました。基本は、三原から乗り込むわけですが、岡山~広島間がメインで、列車によっては、新大阪へ行くこともあったと記憶しています。
●突然求められた福山駅への「進出」
―東海道・山陽新幹線は、平成15(2003)年10月のダイヤ改正から、「のぞみ」中心のダイヤになり、福山駅にも「のぞみ」が停まるようになりました。この年、「浜吉」も福山駅にお店を出されたんですね?
赤枝:長年、福山駅の駅弁を手掛けられていた「鞆甚(ともじん)」さんが、年明けに突然、営業を終了してしまいました。私たちも冬の駅弁大会に出ている最中に、出先で知らせを聞いてびっくりしました。このため管轄するJR岡山支社から、売店の経営を含め、福山駅での販売をやってもらえないかと打診があり、約1ヵ月の短期間で、浜吉が福山の駅弁販売を手掛ける格好となりました。
―すぐに福山向けの新作も作られましたね?
赤枝:まず幕の内は、定番の浮城弁当を、「福山」と掛け紙を変えることで対応しました。次は「松茸すきやき弁当」です。広島・備後地方はもともと松茸の産地で、松茸をすき焼きと一緒に食べる食文化があります。逆に松茸のないすき焼きは、もう考えられないほどです。(上半期に開発していったので)実は包装に使っている松茸は、初夏に採れる「さまつ」で、スグに東京に出荷されるため、東京へ飛んで買い求め、写真撮影した記憶があります。
―そして、「福山ばら寿司」ですね?
赤枝:福山市は「ばらのまち」として有名でしたので、「福山ばら寿司」を新たに作りました。(瀬戸内の郷土料理ではありますが)ばら寿司は「駅弁」としては作っていませんでした。でも、仕出し弁当などで作っていてノウハウはあったんです。そこで鞆の浦名物の小鯛を載せて、スリーブ式の包装にバラの花の形を開けて透明な蓋とすることで、小鯛の輝きをバラの花に見立てました。
【おしながき】
・酢飯
・小鯛の酢漬け
・錦糸玉子
・刻み穴子
・いくら
・菜の花
・酢蓮根
・椎茸煮
・付け合わせ
バラの花をイメージしただけあって、ふたを開けた瞬間からパッと明るくなって彩りのいい「福山ばら寿司」(1300円)。サッパリ酢で〆られた小鯛と、いくらをはじめとした濃いめの具材のバランスがよく、箸が進みます。加えて、酢飯のなかから刻んだ穴子が現れたり、浜吉自慢の“焦げ目付き”錦糸玉子も載って、食べ応えのある駅弁に仕上がっています。なお、“福山”と冠していますので、こちらは三原駅売店での販売は行われていません。
福塩線では、かつて「旧型国電」が運行されていましたが、現在の車両が置き換えてから、すでに40年以上活躍が続いています。のんびりと揺られてみると、昔の山手線のようなモーターの音が響き渡ります。その意味では、いまでも、昭和後期の「国電」の雰囲気が楽しめる希少な路線。車内で駅弁はちょっと難しい車両ですが、少し余分に時間を取って、懐かしさを感じる小さな旅に出てみるのもよさそうです。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/