医師で医療ジャーナリストの森田豊氏が8月15日、ニッポン放送「モーニングライフアップ 今日の早起きドクター」に出演。自身の母の認知症について解説した。
母親の認知症のことを本にまとめた理由
飯田浩司アナウンサー)森田先生のお書きになった最新刊『医者の僕が認知症の母と過ごす23年間のこと』(自由国民社刊)という本が出ています。ご自身の体験を本にされたということですが、この本を書こうと思ったきっかけは何だったのですか?
森田)私の母は現在94歳で、この23年間、アルツハイマー型認知症を患いながら過ごしています。私は医者としてよりもむしろ息子として、家族として23年間を振り返ってみて、母が認知症になった背景、あるいは診断までの長い道のりや介護などを振り返り、「あのときこうすればよかったのではないか」という反省の想いを著書にして、みんなと情報共有できればいいなと思ったのです。
母に認知症の疑いが出たときに、拒否され、検査させることができなかった
飯田)導入部で「母に対して医師として失敗した」と書いていらっしゃいます。
森田)23年前、「おそらく認知症ではないか」と思って母に検査を強く勧めたのですけれども、母は「絶対に検査を受けない」と頑なに検査を拒んだのです。結局、説得できませんでした。これが医者としては失敗だったかなと思います。
アメリカから2年ぶりに帰ると認知症になっていた母
新行市佳アナウンサー)最初にお母さまが認知症かも知れないと思ったきっかけは何だったのですか?
森田)私の家は二世帯住宅だったのです。私が家内と子どもを連れて2年3ヵ月アメリカで仕事し、帰国してからのことです。それがいまから23年前です。
飯田)その間、アメリカへご家族でいらっしゃったのですね。
森田)渡米する前の母はいつも派手な服を着て、お化粧もしっかりとして、社交的で外食も楽しんでいたのです。知らない人にも声をかけるような人でした。しかし、2年3ヵ月アメリカで生活して戻ってきたら、まったく性格が変わっていて、家に引きこもるようになったのです。
飯田)帰ってきたら。
森田)おしゃれもしなくなり、外食に誘っても行かなくなってしまった。最初はうつ病かなと思って心療内科なども受診させたのですけれども、原因は特定されませんでした。そのころから朝食を食べるのを忘れる、また朝8時に朝ごはんを食べたのに、10時になると「まだご飯を食べていないのよ」というように、私たちの世帯に上がってくるようになりました。
飯田)なるほど。
森田)近くの美容院に行っても、道に迷って戻れなくなってしまう。また、テレビのリモコンが使えないということで、自分でリモコンの会社に電話して呼ぶのですが、原因は故障ではなく、使い方がわからなかったということが繰り返しありました。
二世代住宅の息子家族が渡米し、夫も不在がち ~1人にしてしまったことが認知症に
飯田)先生は2年3ヵ月アメリカにいて、日本を離れていらっしゃったということですが、認知症と何か関係があるのですか?
森田)私はかなり関係があるのではないかと思っています。このとき、父は日本にはいたのですが、全国各地を講演などで飛び回っていましたし、熊本に病院があったので、なかなか家にいませんでした。
飯田)病院が熊本にあったのですか。
森田)週に1日くらいしかいなかったので、母が1人になることが多かったのです。「人との接触機会が少なくなると、認知症になる確率が8倍になる」という研究結果もあることから、やはり母を1人にしてしまったことが認知症を発症させ、進行させてしまったのではないかと思います。
飯田)いままでであれば、二世帯同居でたくさんの人がいたお家が、お母さま1人だけの時間が多くなってしまった。
森田)そうですね。特にコロナ禍では年配の方の自粛があり、もしかしたらこれから認知症の方が多くなるのではないかと危惧しています。
番組情報
医師が週替わりで登場。
飯田浩司アナウンサーと新行市佳アナウンサーが、健康に関する疑問や予防法、症状、治療法などを聞きます