キャスターの辛坊治郎が9月1日、自身がパーソナリティを務めるニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演。30日に死去した旧ソ連の元大統領、ゴルバチョフ氏について「大好きな政治家だった。でも、ロシア人が大嫌いなのも分かる」と語った。
旧ソ連の最初で最後の大統領でノーベル平和賞も受賞したミハイル・ゴルバチョフ氏が8月30日、モスクワ市内の病院で亡くなった。91歳だった。この訃報を受け、ロシアのプーチン大統領はゴルバチョフ氏の遺族らに弔電を送り、世界の歴史の歩みに巨大な影響を与えた政治家だったと哀悼の意を示した。プーチン大統領はゴルバチョフ氏が困難でドラマチックな変革の時期に国を率い、大規模な外交、経済、社会上の諸問題に対応したと評価。改革の必要性を深く理解し、解決案を示したと指摘した。
辛坊)ゴルバチョフ氏が亡くなったというのは非常に大きなニュースです。ゴルバチョフ氏は1985年、旧ソ連のトップになりました。その1年後に起きたのがチェルノブイリ原発事故です。ただ、就任1年後だったので、ゴルバチョフ氏の精神は旧ソ連の官僚組織の中には根づいていなかったんですね。事故に関する情報がほとんど出てこなくて、周辺国のモニタリング調査で「放射線量が上がっているから、何か起きたんじゃないか」という話になりました。それで、旧ソ連が白状せざるを得なくなったという経緯がありました。
私は、事故の情報はゴルバチョフ氏のところまで上がってきていなかったんじゃないかと思うんです。そう思えるほど、旧ソ連は情報を出さない閉鎖的な国でした。しかし、ゴルバチョフ氏は「グラスノスチ(情報公開)」や「ペレストロイカ(再建)」に取り組みました。今で言うところの改革開放路線ですね。ゴルバチョフ氏が旧ソ連のトップに立ってからは、それまでの旧ソ連とは全く違うイメージが生まれました。
話はさかのぼりますが、レーニンが率いた1917年のロシア革命によって、世界で初めての共産主義国が生まれましたが、多くの人たちが体制側に殺害されてきた歴史があります。私はロシア革命から約70年たった1988年頃、旧ソ連に取材で入国したことがあります。そのときに思ったのは、70年前後もの長い年月を共産主義体制に抑圧されてきた国民の手で体制がひっくり返るようなことは、そう簡単には起きないんだろうなあという感想です。
共産主義体制では、隣人が突然消えて、そのまま消息が分からなくなるなんていうことは日常的に起きていました。体制に逆らえば、命に関わるんです。そうした恐怖の世界で生きていると、人間はそう簡単には抵抗できないんだなあと思いました。
しかし、ゴルバチョフ氏という特別な人物が出てきて、自分の政権ひっくり返したわけです。ゴルバチョフ氏が出てこなかったら、その後の世界史は全く変わっていたはずです。今の世界とは全く違う世界になっていたことは間違いないです。旧ソ連の崩壊を見ていて、そう思いました。つまり、権力を持っているトップが変わらないと、その国は変わらないということです。
そういう意味では、中国も同様です。香港が中国に返還された1990年代後半の頃には、「体制は長続きしないのでは」と多くの人が思っていたのだろうけれども、予想外に中国の体制は長続きしています。それどころか、習近平国家主席(中国共産党総書記)は今年、これまでの慣例を無視して、3期目のトップに居座ろうとしています。ですから、中国も民衆の力でそう簡単に体制がひっくり返るようなことはないだろうなと感じています。周国家主席が改革開放に舵を切り、国民の恐怖がなくならない限り、変わらないでしょう。
いずれにせよ、私はゴルバチョフ氏は大好きな政治家でした。しかし、今のロシア人たちは、ゴルバチョフ氏のことを「自分の国をぶっ壊した人だ」と思っていますから、大嫌いなのはよく分かります。
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番組情報
辛坊治郎さんが政治・経済・文化・社会・芸能まで、きょう一日のニュースの中から独自の視点でズームし、いま一番気になる話題を忖度なく語るニュース解説番組です。
[アシスタント]増山さやかアナウンサー(月曜日~木曜日)、飯田浩司アナウンサー(木曜日のみ)