飢饉のなかで「サツマイモ」栽培に踏み切った人物とは
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あなたの朝がいつもイイ朝でありますように---ニッポン放送『羽田美智子のいってらっしゃい』。2月21日放送分のテーマは「サツマイモの歴史」です。
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※画像はイメージです
サツマイモの普及に努めた1人に、学者・青木昆陽がいます。18世紀中期、天候不順による大変な飢饉があり、作物が育たず食料不足で大勢が亡くなりました。
昆陽氏は当時、「甘藷(かんしょ)」と呼ばれていたサツマイモが痩せた土地でも十分に育ち、しかも簡単に増やせてたくさん収穫できることを発見。幕府に報告します。
それを受けて時の8代将軍・徳川吉宗は、さっそく昆陽氏にサツマイモを育てるよう命じました。昆陽氏はサツマイモの栽培に必要な「種芋」を薩摩藩(現・鹿児島県)から取り寄せ、栽培を始めます。
最初はなかなかうまくいかなかったそうですが、苦労を重ねた結果、二度目に成功。収穫されたサツマイモは種芋として各地へ配られ、栽培されるようになります。
おかげで飢饉に苦しむ農民を救うことができ、その功績から昆陽氏は「甘藷先生」と呼ばれるようになりました。その後も何度か大きな飢饉に見舞われますが、サツマイモによって多くの人が救われたそうです。