
カッコーが鳴き始める季節になりました。「鳩時計」、海外では「カッコークロック」と呼ばれていますが、今回は鳩時計専門店のお話です。

鈴木治善さんと、天井まで飾られた100台を超える鳩時計
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
群馬県沼田市、JR高崎駅から上越線に乗って、およそ1時間で沼田駅に着きます。初めて沼田駅に降りた人は、「どこに街があるの?」と戸惑うそうです。人口が4万人を超えるのに駅前には数軒のお店があるだけ。近くには利根川が流れ、緑豊かな山に囲まれています。
実は、沼田市の市街地は、80メートルも上にある高台にあります。以前、ブラタモリでも紹介された「河岸段丘」。川の流れに沿ってつくられた階段状の地形に沼田市は位置していて、急な坂道を登っていくと、そこに広い街並みが姿を現します。かつて、真田幸村の兄・信之が町づくりを行い、“天空の城下町”とも呼ばれています。

南ドイツ風のスズキ時計店
この沼田市に、鳩時計の名店『スズキ時計店』があります。お店の外観は、南ドイツ風の建物で、お洒落な飾り窓。そして壁面には、いくつもの鳩時計が飾られています。お店に入ると、天井まで鳩時計が覆い尽くし、その数は100個を超え、カチ、カチ、カチ、カチと、心地よい歯車の音が出迎えてくれます。お店を営むのは、三代目の鈴木治善さん。昭和35年生まれの65歳。ニコニコと笑顔が印象的な方です。
「蚕で栄えた沼田は、戦後も華やかな花柳界の時代がありまして、祖父は“餝屋”と呼ばれる簪職人でした。私が小さいころも、芸者さんが買いにいらしていましたよ。二代目の父が時計店を始めまして、私は大学卒業後、老舗の時計店で10年修行を積んでから店を継ぎました」
街の時計屋さんだったスズキ時計店が、なぜ鳩時計の専門店になったのか、そこにも沼田という土地柄が深く関係していました。

入口に大きなくるみ割り人形がお出迎え
長野県上田市から軽井沢、草津、沼田を経て、栃木県日光市まで結ぶ、全長320キロの街道。その美しい景観がドイツに似ていることから、「日本ロマンチック街道」と呼ばれています。そんなことから沼田市は、ドイツのバイエルン州・フュッセン市と姉妹都市を提携し、長年にわたり交流を深めてきました。鈴木さんが、ドイツのフュッセン市へ視察したとき、市長さんから、こんな言葉を掛けられました。
「時計屋さんなら、ドイツの時計を扱ってほしいですな」
鳩時計の発祥は、ドイツの「シュヴァルツヴァルト」地方。“黒い森”という意味で、冬は深い雪に閉ざされ、産業も乏しかったことから鳩時計の製造が始まり、その歴史は、実に380年にもなるそうです。

約100年の時を刻む大型の鳩時計(修理中)
機械式鳩時計の動力源は、鎖に付いた細長い“松ぼっくり”の形をしたオモリです。鎖を引いて吊り上げたオモリが、重力で下がる力を利用して鳩時計を動かします。とても原始的な仕組みだそうです。その後、ゼンマイや電池、最新のソーラー時計が登場し、オモリを使った鳩時計はもう時代遅れかと思いきや……、そうではありません。新築祝い、結婚祝い、孫の誕生祝いなどで購入される方が多いそうです。鳩時計の魅力を鈴木さんに伺うと、
「何といっても、時を刻む“歯車の音”ですね。『時を刻む』なんて言葉は、もう死語かもしれません。静かな時計が主流ですから……。でもカチ、カチ、カチという音は、母親の胎内で聞こえる心臓の鼓動に近いそうです。だから『鳩時計は気持ちが落ち着く』とよく言われるんですよ」

人気の「シャレー(家)モデル」は、オルゴールの音に合わせて人形や家畜、水車が動き出す
「スズキ時計店」には、日本全国から動かなくなった鳩時計が送られてきます。ドイツ製の機械式鳩時計は、部品がすべて揃うため“一生もの”です。それを知らずに、壊れたら処分してしまう方が多かったのですが、最近はネットで調べ、修理の依頼が増えてきています。
「先日、ご主人の形見だという鳩時計の修理依頼がありましたね。出張先のドイツで買って、大切にされていたそうですが、ご主人が亡くなって、鳩時計も止まってしまい、もう直らないと諦めていたそうです。それから90年前におじいさんが買った鳩時計が壊れて、20年間ずっと飾ったままだったそうですが、お孫さんから『また動くようにしてほしい』と修理の依頼がありました」
こうして鳩時計が再び時を刻み始めるとき、思い出もまた、そっと動き出すのかもしれません。