番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
今日は、今年限りで惜しまれつつ引退した広島カープ・黒田投手と、数々の名選手を発掘したベテランスカウトの、グッとストーリーです。
今年、25年ぶりのリーグ制覇を果たし、ファンを大いに沸かせた広島カープ。
中でもファンに大きな感動を与えたのが、今シーズン限りでユニフォームを脱いだ黒田博樹投手です。
カープからアメリカ・メジャーリーグに移籍して7年間活躍。去年、メジャーの球団から年俸20億円を超えるオファーを受けながら、それを蹴って年俸4億円の古巣カープへ。「優勝するために」戻って来てくれた黒田投手の男気に、広島市民は喝采を送りました。
優勝が決まったとき、人目をはばからずグラウンドで男泣きした黒田投手に、ファンももらい泣き。
黒田投手はこれを花道に、引退を発表。背番号「15」は永久欠番になりました。
しかし、黒田投手はプロ入りの際、決して鳴り物入りで入団したわけではありません。高校時代は甲子園にも出場していませんし、専修大学でもそれほど目立った存在ではなかったのです。
その黒田投手を発掘し、獲得に踏み切ったのが、広島カープのベテランスカウト、苑田聡彦(そのだ・としひこ)さん・71歳。広島・緒方監督、阪神・金本監督も苑田さんが見付けて来た選手です。
他のチームと比べて、選手獲得のための資金が限られているカープの場合、「よそが目を付けていない、伸びしろのある選手」を見付けて、チームの顔に育てていくことが至上命題で、スカウトの「選手を見抜く目」が重要になってきます。
「黒田を見付けたのは、彼が専修大学の2年生のときでした。実は他の選手を観に行ったときに、偶然見掛けたんですよ」という苑田さん。
苑田さんがお目当ての選手を練習場へ視察に行ったときに、たまたまそこで投球練習をしていた黒田投手。その姿を見て、ベテランスカウトの目が光りました。
「まさに一目惚れでしたね。『これは』という風格というか、他の選手にはない雰囲気を感じたんです」
苑田さんはさっそく、大学関係者に「あのピッチャーはどんな選手なの?」と尋ねたところ、公式戦にも登板したことのない控えのピッチャーで、高校時代も3番手か4番手の補欠クラス。しかも当時、専修大学は東都大学リーグの二部で、まったく誰も注目していない存在でした。
しかし、「一度惚れ込んだら、とことん惚れ抜け」がモットーの苑田さんは、黒田投手を見るために専修大学へ通うようになり、ますますその才能に惚れ込んでいきます。
苑田さんが特に目を見張ったのは、黒田投手の「負けん気の強さ」。
普通のピッチャーは、あるバッターに一度インコースを打たれると、次はアウトコースで勝負することが多いのですが、黒田投手は違いました。打たれてもまったく臆することなく、また同じインコースにズバッと投げ込んでいったのです。
「黒田は『負けるもんか!』という意識が人一倍強かった。『打てるものなら打ってみろ!』という気概のあるピッチャーは、必ずプロでも成功しますね」
とにかく練習熱心なところ、打たれてもふて腐れず反省し、次に活かす姿勢も、苑田さんの気に入ったところ。ドラフトではぜひ上位で獲得したい、という苑田さんの熱意に打たれ、球団も獲得にゴーサインを出し、黒田投手も「無名な僕を、そんなに買ってくれているなら、ぜひお願いします」とカープを逆指名。
96年、ドラフト2位でカープに入団。1年目から一軍で登板し、プロ5年目に初めて10勝を挙げると、カープを代表するエースへと成長していきました。
その後の日米での活躍はご存じの通りです。
スカウトの仕事は、選手を入団させて、それで終わりではありません。プロ入りした後も「ちゃんとやってるか?」と声を掛けたり、様々な悩みの相談に乗ってあげたり…
「スカウトした選手は、指名の順位には関係なく、みんな平等に可愛いもんですよ。引退してからも、付き合いのある選手もたくさんいます」という苑田さん。黒田投手が引退を発表したときも、本人から直接電話がありました。
「私の目から見ても、体がもうボロボロなんだな、というのは分かりました。最後にカープで優勝できて、本当に良かった」
「選手こそ財産である」・・・それがカープの先代オーナー・松田耕平(こうへい)氏の言葉。
苑田スカウトは今日も、第二・第三の黒田投手を探しに、全国を飛び回ります。
番組情報
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