常磐線の中距離電車として活躍するE531系電車。
上野東京ライン開業後は、昼間を中心に東海道線・品川まで乗り入れるようになったこともあり、東京・有楽町界隈でも、よく見かける車両になりました。
E531系は、東日本エリアの普通列車用車両としては、初めて最高時速130キロを達成。
グリーン車2両連結した10両を基本に、土浦以南は増結した15両編成の列車もあります。
今年も2/18から「水戸の梅まつり」が始まりました。
常磐線の赤塚~水戸間に、この時期だけ開設されるのが「偕楽園臨時駅」。
今シーズンは、土休日を中心に3/26までの合計13日間、9:10~15:30の間、営業します。
営業時間帯の常磐線『下り』列車は、特急「ひたち・ときわ」を含め、全列車が停車。
ホームは「下り」のみですので、東京方面への上り列車は、水戸駅からの乗車となります。
さて、水戸駅の駅弁を、平成23(2011)年から手がけているのが「しまだフーズ」です。
常磐線のE531系電車と同じ(?)、ブルーの配達着で登場いただいたのは、有限会社「しまだフーズ」の島田拓郎(しまだ・たくろう)社長。
第二次ベビーブーム世代、昭和47(1972)年4月生まれの44歳です。
生まれは長野・塩尻ですが、小さい頃、茨城に引っ越してこられた“茨城育ち”だそう。
そんな島田社長に、水戸駅弁のウラ話をイロイロと伺いました。
1年間、思い悩んだ「水戸駅弁」参入
●「しまだフーズ」は、水戸市内で展開されている「北のしまだ」のグループ会社ですが、そもそも水戸でどうして“北海道居酒屋”なんですか?
義理の母が北海道出身なんです。
祖父が警察官で北海道を転々としていて、祖母は国後島です。
だから、島民二世ですと、ビザなし交流で、島へ渡ることも出来たりします。
なので、北海道にパイプがあって・・・ということですね。
●その中で「しまだフーズ」という会社を立ち上げられたんですよね?
「しまだフーズ」は、平成16(2004)年に、惣菜や弁当といった「中食(なかしょく)」をメインでやっていく会社として興しました。
実は立ち上がってから何年かは、全く駅弁に関係のない会社で、水戸の駅ビルの中で、惣菜を販売する「お台処しまだ」というお店をやっていました。
あと、日立市の常磐線・大甕(おおみか)駅でおにぎり屋もやったり、注文弁当などもやっていましたが、正直なところ、「この業界って、厳しいなぁ・・・」と思い始めていました。
●どんなところに厳しさを?
外食(居酒屋)と中食(惣菜、弁当)は、やってみると全く違うものなんです。
食べ物を扱うという共通点はありますが、売り方とか販売促進とか衛生面とか、全く違います。
外食だったら、お店に来た方を相手にすればいいのですが、中食ですと、不特定多数に売らなくてはいけません。
関わる人が多い分、様々な影響も大きくなるんです。
●その中で、より厳しいと思われる「駅弁」を手がけられるようになったわけですが、この参入には、どんな背景があったんですか?
そんな時、水戸の駅ビルに「お台処しまだ」を出店する際に大変お世話になった方が、NRE(日本レストランエンタプライズ)の水戸支店長(注1)になられたんです。
時を同じくして、水戸駅弁を作っておられた「鈴木屋」さんが、突然、閉店されてしまうという出来事がありました。
(注1) NRE(日本レストランエンタプライズ)
日本食堂を前身として、駅弁や車内販売、レストランなど、東日本エリアにおける鉄道の飲食分野を幅広く手掛けるJR東日本の子会社。現在、水戸支店(水戸列車営業支店)は、「いわき列車営業支店」となっている。
●「鈴木屋」さんが無くなってしまった時は、私も大変驚きました!
私も駅弁を手がけるようになって知ったんですが、それまで(水戸駅弁には)、太平館さん、芝田屋(弁当部)さん、鈴木屋さんという3つの駅弁屋さんがあったんですよね。(注2)
ただ、最後まで残っていた鈴木屋さんがそんな状態になってしまったということで、水戸駅から駅弁が無くなってしまったんです。
そこでNREの支店長から、私に「(駅弁を)やってみてくれないか?」という声がかかったんです。
でも、私はハッキリ言ったんです、「出来ない!」って。
(注2)「太平館」「芝田屋」「鈴木屋」
いずれも元「駅前旅館」で、長年、水戸駅弁を手がけていた。
平成22(2010)年までに、全て駅弁から撤退。
※参考:「水戸駅 開業から百十年」水戸市立博物館 ほか
●てことは、鈴木屋さんが無くなってスグに、島田社長に声がかかっていたんですか?
そうなんです。
以降も、毎月「どうだ?どうだ?」と声をかけていただきました。
でも、私は「やらない!」「考えさせてくれ」と断り続けて、1年間“寝かし”ました。
(それというのも)水戸駅には、それまで3つも駅弁屋さんがあったのに、全て無くなっていました。
そして、私の中食の会社も決していい状態ではなかった。
だから、駅弁をやっても、また同じことになっちゃうのでは・・・という頭しか無かったんです。
それでもなお、NREの支店長は、毎月声をかけて下さって、最後「どうにか頼む!」とお願いされて、私もついに折れました。
中食も下火になってきたところにいただいた仕事の話でもありますから「やるしかない!」と。
そして、(駅弁を)やるとなったらいい加減なことはできないと、腹を決めたんです。
(インタビューは次回に続く)
駅弁参入に当たって、1年思い悩んだという島田社長。
平成23(2011)年、最初に販売した4つの駅弁の1つが、軽食駅弁の「昔おにぎり」(550円)です。
社長ご自身が、昔、長野・塩尻から、笹の皮に包まれた大きなおにぎりを片手に食べながら旅した記憶から、あんな駅弁を作ってみたいと思い、生まれたのだそう。
「昔おにぎり」・・・、名前から社長の思い入れがダイレクトに伝わってきます!
掛け紙を外すと、鮭と梅の大きなおにぎりが2個。
お米は、茨城・常陸大子産のコシヒカリを使用しています。
おかずは、定番の鶏のから揚げ、エビフライに玉子焼き、そして香の物。
水戸~東京間は、特急「ひたち」に乗れば1時間ちょっとなので、小腹を満たすには、実はこのくらいが丁度いいんですよね。
中から顔をのぞかせたのは、程よい塩加減の焼鮭。
やっぱり、この海苔を直巻きしたおにぎりが、一番ホッとしますよね。
「しまだフーズ」が大甕駅でおにぎり屋さんをやっていた時は、機械を使っていたそう。
しかし、駅弁として販売する以上は、やはり「手で握った方がイイ」となったといいます。
大きなおにぎりに一口パクリといくだけで、懐かしい時代へ連れて行ってくれる駅弁です。
さあ、紆余曲折を経て、水戸駅弁への参入が決まった「しまだフーズ」。
しかし、まだ一筋縄ではいきませんでした。
次回、駅弁参入直前の「しまだフーズ」を襲った、あの出来事を振り返ります。
(取材・文:望月崇史)
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/