それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
華やかなミュージカルのステージに立ちたい…、
そんな夢をいだく若者が、数多く通う「池袋ミュージカル学院」。
劇団四季や大手テーマパークなど、多くのプロを輩出しています。
ミュージカルへの憧れは、若者だけではありません。
「第二の人生、ミュージカルに挑戦したい」と思う高齢者のために、『池袋ミュージカル学院』では、60歳から80歳までの方の入所を対象に、シニアミュージカル劇団「池ミュー座」を開講しています。
経験は問わず、80歳までに入団すれば、いくつなっても続けることが出来ます。
この劇団で最高齢の方が、森が丘俊子さん、御年82歳です。
昭和九年生まれの俊子さんは、子供の頃からお芝居が大好き、小学校の学芸会では、いつも主役のヒロインに選ばれていました。
将来は、憧れの高峰三枝子さんのような女優になりたい、そんな夢をふくらませる少女でした。
高校受験を前に、「俳優の養成所に入りたい。」と打ち明けると、「一人娘を、そんな世界に入れるわけにはいかない。」と両親は大反対!
しつけが厳しい両親は、芝居も、芸能も、まったく関心がなく、「なぜ私は、こんな親から生まれたんだろう。」と思ったそうです。
家出も考えましたが、思いとどまり、高校へ進学。
その後、幼稚園の保育士になって、アマチュア劇団に入りますが、保育士の仕事は夜まで続き、好きな芝居に打ち込めませんでした。
24歳で結婚すると、出産、子育て、さらに両親の介護などで、30代、40代、50代は家事に追われ、芝居どころではありませんでした。
「母の長い長い介護を終えたら、今度は主人が亡くなりました。そして、子供も独立し、やっと自分の時間ができたのは65歳の時でした。で、思ったんです。何もしないで、このまま死ぬのはイヤだと。」
そんなある日、テレビで「声優募集」を目にした俊子さん。
勉強を始めると、セリフ覚えがいいので、映画やドキュメンタリー番組の吹き替えの仕事をいただいたり、表情が豊かなので、カツラメーカーやコンビニ、大人用のおむつのテレビCMにも出演。とても好評だったそうです。
「でも私は舞台に立ちたい!」
という想いが募り、俳優養成所に入り、70歳の時、仲間と劇団を立ち上げたこともありました。
ミュージカルとの出会いは、3年前、芝居の中で、歌を歌うシーンがあって、「ああ、もっと歌がうまくなりたい!」と思った時に「池ミュー座」と出会いました。
年齢制限は80歳まで!その時、俊子さんは、80歳になる年でした。
「まだ間に合う! 私でも、やれるんだわ!」
ミュージカルという新しい世界に飛び込みました。
毎週火曜日、10時から演技、11時からダンス、12時から歌のレッスン。
4月から3ヶ月かけて基礎を習得。
同世代の研究生に、負けないように頑張りました。
7月からは劇場公演に向けて、本格的な稽古です。
「ミュージカルは、なんと言っても、ダンスが難しいんです。足の動きに気が取られると、手の動きがおろそかになり、目線もどんどんどんどん下がって、表情が消えるので、まあ何度も、先生に注意されました。」
今年2月の劇場公演で、なんと、17歳の少女を演じた俊子さん。
「え? 私が17歳の役を? と戸惑いましたが、せっかく、いただいた役なので、どうしたら17歳を演じられるか、電車の中で、女子高生の動きを観察したんですよ。とにかく動きが機敏! よっこいしょとモタモタしてたらダメ。毎日17歳になった気持ちで過ごしたんです。」
と笑います。
普段の俊子さんは、スマホの画面を、人差し指で、サッサッと操作し、白内障の手術をしてからは、老眼鏡も使いません。
毎日のように友達と会い、駅では階段をのぼり、筋肉を鍛えています。
この年になっても、女優への想いは消えないという、俊子さん。
「実は、40歳を過ぎた頃、両親が、育ての親だと分かったんです。本当の父は、若い頃、無声映画の俳優をしていたそうです。ああ、私の体に役者の血が流れている、そう思うと、全てが納得できました。」
女優への道…、森が丘俊子さんの人生は、これからも続きます。
2017年5月17日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ