衆院選 希望の党取材を通じて【新人記者あいばゆうな取材記】
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【新人記者あいばゆうなの取材記】
第48回衆議院議員総選挙。ふたを開けてみると、希望の党は公示前の小池旋風から一転。希望の党は自民党に完敗しただけでなく、野党第1党にも成り得ず、その勢いは尻すぼみとなりました。
10月22日。希望の党開票センターは、芝公園のホテル『ザ・プリンスタワー』に設置されました。会場に入る受付時に渡された、その日のスケジュールに関する資料を見てみると、登壇者の欄には、「樽床伸二 代表代行」。その下には「細野豪志 代表補佐」とありましたが、代表補佐の部分が線で消され、「チャーターメンバー」と赤字で訂正されていました。
10月3日の第1次公認発表会見で、若狭勝氏がぐちゃぐちゃに資料のはみ出した紙袋を持って登場し、それを足元に投げおいて会見を始めた姿からも組織が分かると感じましたが、選挙当日の資料を見るだけでも、組織が依然混乱状態にあることが分かりました。
このチャーターメンバーについて質問をすると、党側からは「これは肩書ではなく、あくまでメンバーの一人ということだ」という説明がありました。しかし、それでは会見場で登壇する理由も釈然とせず、新党立ち上げに深く関わってきた細野氏の位置づけの不明確さにも疑問を感じました。
こういった登壇者の編成になったのには理由があります。新党を立ち上げて初めての国政選挙だというのに、肝心の党代表の小池百合子氏は不在。都知事としての公務で、パリで国際会議に参加をしていました。25日に帰国予定ですが、完敗の責任について問われるのは避けられない状況です。
開票時刻の午後8時になると、会場のテレビモニターにはすぐ「自民圧勝」の文字が。登壇した二人は、それを見ても表情を変えることなく、その後は淡々とテレビラジオ各局の中継取材に応じていました。花付けも本来ならば、格好のフォトセッションになるところですが、両者とも花をつけながら振り向くこともなく、フラッシュの音もまばらで、非常に静かな会場でした。私も会場から3度レポートをしましたが、声を出すのが憚られるほどの静けさで、話し始めると視線を感じるほどでした。
樽床代表代行は、他局のインタビューの中で、敗因について「小池代表の排除という表現が強かったという指摘もあり反省している」などと、小池氏が民進党議員の合流に際して「排除」という言葉を使ったことについてたびたび言及しているのが印象的でした。
私が街頭演説を聞きに来ていた人に取材をした中では、排除という言葉が気になったと話した人はいませんでしたが、「小池さんに選挙に出てほしかった」「都政も国政も無責任なら片方の無責任は果たすべきだ」という声や、「自民党と大して変わらない」「元民進党出身者は態度をコロッと変えた候補者だから信用できない」という声が聞かれました。首班指名が明らかでないこと、2足の草鞋であること、自民党との差異化が図れていないこと、公約に反する主張をするなど統率がとれていないことが、結果のひとつの原因になったのではないかと思われます。
私自身は今回の結果に、小池氏の政界渡り鳥としての弊害が出てきたのではないかと感じました。これまであらゆる風を呼んで、その風に乗り換えることで、都知事となり新党を立ち上げるまでに至った小池代表ですが、そのスピード感は言い換えれば見切りの速さでもあったように思います。今回小池新党は、若狭氏が立ち上げるのではないかという見立てもあったように、若狭氏細野氏を中心に調整が続いていたものが、知事の突然の会見でそれをリセットし、自身による新党立ち上げに踏み切ったことも、一種の見切りだったと思いますし、選挙前に幹部に役職を与えないことも、見切るか否かの品定めをしているという感じがします。そういったこともあってか、会場で登壇した樽床氏や細野氏を見ていても、「チーム小池」として戦ったという雰囲気はありませんでした。小池チルドレンも優秀な参謀もいないということで、今回の選挙は小池氏本人が出馬に踏み切れないタイミングで総選挙に打って出た与党側が1枚上手だったといえるのではないでしょうか。今回多くの政界渡り鳥を受け入れた小池代表ですが、選挙期間中から希望から出たのは間違いだったとこぼす候補がいるように、今回希望から出馬した候補者もあっさり見切りをつけられる可能性も十分あるように思います。
また総裁選以外負けなしだった小池代表は、パリで受けたインタビューで、「国政のことは国政にお任せしたい。自分は都政にまい進したい」という趣旨のことも話していて、自身が立ち上げた党にも早々に見切りをつけようとしているのではないかとも感じられます。今回しがらみのない政治を訴えた小池代表ですが、見切ってきたということは、逆に見切られるということでもあり、今後の政党の動きにも注目が集まりそうです。