【ペットと一緒に vol.56】
ペットショップの売れ残りで、ほかの人や犬が苦手でとびきりのシャイ。吠えたり唸ったり、ときには恐怖心から攻撃的な行動が出たりという愛犬との出会いが、26歳だった倉岡麻子さんの人生を大きく変えました。「この子と巡り合えたからこそ、今の私がある」と語る、麻子さんの人生のターニングポイントと現在までの姿を追いました!
ペットショップの売れ残り犬との出会い
倉岡麻子さんが女友達と一軒家のルームシェアをしていた独身時代に出会った、アメリカン・コッカー・スパニエルの福くん。
「まさかその後、人生が福ちゃんによってこんなに大きく変わるとは思ってもみませんでした」と、麻子さんは振り返ります。
ハウスメイトは当時、ゴールデン・レトリーバーと猫を飼っていました。麻子さんも、以前はダックスフントと暮らしていた大の犬好きで、ペットシッターのアルバイトを始めたばかり。ハウスメイトに少し触発され、ペットショップで売れ残っていた福くんを迎えることになったそうです。
「ペットショップ以外の世界を知らずにパピー時代を過ごしてきた影響もあってか、迎えた福ちゃんはかなりのビビリ。人が触ろうとすると唸ったり、ときには咬もうとしてきたり……、他の犬にも吠えていました」。困り果てた麻子さんは、ドッグトレーニングを本格的に勉強しようと思い始めました。「もう26歳だし、いまさら専門学校で学生として楽しい生活を送るより、ドッグトレーニングの最先端が学べるアメリカで修行をしよう! と(笑)。決断したら、どんどん準備を進め、福ちゃんと一緒にサンディエゴのドッグトレーナーの鈴木博美さんのもとへ。結局3年間、鈴木家にホームステイしながら、たくさんのことを学びました」と、麻子さん。
試行錯誤のアメリカ時代があるから
アメリカに渡った麻子さんは、福くんにマッチする方法を探して、様々なトレーニングに取り組みました。
「渡米初期に通ったオビディエンス・クラブでは、おやつを使うことを禁止していたせいか、福ちゃんはあまり楽しそうにトレーニングに取り組んでいませんでしたね。
その後、吠えを軽減するために藁にもすがる思いで始めたのが、エレクトリック・カラー(軽い電流が流れる首輪)を使うトレーニングでした。『人で言えば肩をポンと叩く感じで合図を送るだけだから、かわいそうではないのよ』と言われて始めたのですが、うまく行かず。私がカラーのリモコンを隠し持っているのは、福ちゃんにはバレバレ。リモコンを持っていると感じると、福ちゃんは私から逃げて行くように……」。
実はアメリカに渡る前の麻子さんは、トレーニングを積めば福くんは思い描くとおりの、他犬ともフレンドリーにあいさつができたり、人にもよく慣れる犬になるのではないかと期待を抱いていたそうです。最終目標は、福くんをドッグトレーナーの仕事のパートナーにすること。
「でも、トレーニングを続けた経験を通して、福ちゃんという目の前の犬の個性をきちんと理解できるようになったんです。福ちゃんを受け入れたんだと思いますね。そうすると、私の夢を福ちゃんに押し付けるのではなく、福ちゃんの幸せは違うところにあるんじゃないかって思えてきて」。
そこで、福ちゃん自身の恐怖心や緊張感を軽減してあげられるようにするという、最初の麻子さんのイメージからは離れたところに自然とトレーニングのゴールを設定し直しました。「他の人や犬と同じ空間にいても、福ちゃんが『大丈夫』と思えるようになればいいと思ったんです。例えば、散歩中も他の犬と平常心でフツウにすれ違えれば、それでOKなんだって」。
そんなとき、これまで行っていたトレーニングとは真逆の発想の方法に、麻子さんは出会いました。それは、おやつを使い、決して苦痛を与えず、犬を楽しい気持ちにさせながらトレーニングをするという方法。
「それを始めたら、福ちゃんがどんどん明るい表情になって、受け入れられることも増えてきたんです。ようやく、2歳にして福ちゃんにも春が訪れたんですよ(笑)」と、思い出を語る麻子さんの声もうれしそうです。
2頭目を迎え、ドッグトレーナーに
福くんのトレーニングが順調に進み、麻子さんの気持ちにも安心感とゆとりが生まれてきた頃、麻子さんは仕事のパートナーになるような犬を探し始めました。そこで出会ったのが、ゴールデン・レトリーバー(イギリスタイプ)のわたるくん。他犬が得意ではない福くんとは慎重に近づけ、半年間かけて福くんとわたるくんを慣らしたそうです。
わたるくんは、麻子さんの仕事を手伝ってくれる理想的なデモンストレーション・ドッグに成長してくれました。
そして、日本に帰国してから、麻子さんは結婚と出産を経て、ドッグ・トレーニング・スクールのINUDOGをスタートしました。現在は、出張トレーニングをメインに、預かりレッスンなども行っています。
「福ちゃんは子どもも苦手でした。なので、福ちゃんと娘も、それはそれは時間をかけて慣らして行きましたよ(笑)」と、麻子さん。今では娘さんが福くんのどこを触っても、福くんは余裕で受け入れているそうです。
「今の私の原点は、福ちゃんです。自分が本当に福ちゃんとの関係づくりやトレーニングで悩んだので、愛犬との付き合い方に苦労している飼い主さんの気持ちが痛いほどわかるんです。もし、アメリカで迎えたわたるのような性格の犬と私が最初に日本で出会っていたら、今のドッグトレーナーとしての私はいませんし、愛犬の行動に悩む飼い主さんの気持ちもあまり理解できなかったかもしれません。福ちゃんは、運命の犬だったと思っています」。
福くんは今、12歳。わたるくんは9歳。福くんは悪化した外耳炎のせいで聴力をほとんど失い、視力もほとんどありません。
「でも、福ちゃんにはまだまだ楽しみがあると思うんです。だから、今できる楽しいことを続けて、ウキウキできる生活を続けてもらいたいな。そう思って、散歩にも行きますし、足腰のエクササイズになるようなトレーニングやゲームなどをあれこれ考案しながら行っています」と、麻子さんは語ります。
福くんに導かれるようにして劇的な変化を遂げた麻子さんは、新たなステージでまた挑戦をスタートさせているようです。
連載情報
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ペットにまつわる様々な雑学やエピソードを紹介していきます!
著者:臼井京音
ドッグライターとして20年以上、日本や世界の犬事情を取材。小学生時代からの愛読誌『愛犬の友』をはじめ、新聞、週刊誌、書籍、ペット専門誌、Web媒体等で執筆活動を行う。30歳を過ぎてオーストラリアで犬の行動カウンセリングを学び、2007~2017年まで東京都中央区で「犬の幼稚園Urban Paws」も運営。主な著書は『室内犬の気持ちがわかる本』、タイの小島の犬のモノクロ写真集『うみいぬ』。かつてはヨークシャー・テリア、現在はノーリッチ・テリア2頭と暮らす。東京都中央区の動物との共生推進員。