単身赴任の支えだった愛犬の、命の危機と出産とガン闘病生活
公開: 更新:
【ペットと一緒に vol.80】
ハートフルトリミングの仕事を生きがいとして続けている、細野明子さん。実は、もとはトリマーを目指していたわけではなく、就職活動の失敗がきっかけでトリマーになったそうです。その後、偶然にも飼い始めた愛犬と香港に渡り、救急動物病院に何度も駆け込み、帰国後は結婚してトリミングサロンをオープン。そして現在は、膀胱がんになった愛犬と闘病生活を送っています。激動とも言える、明子さんの「犬半生」をお届けします。
マスコミ就活の失敗から、大幅な方向転換
秋田県出身の明子さんは、「東京に出たい!」との思いから、高校の推薦で東京の大学の農化学科に進学しました。
「就職活動では、学んだことと関係ない業界であるマスコミを目指しましたが、全滅。将来を考えながら駅のホームでぼーっとしていたら、目の前にトリミングスクールの看板があったんですよ。で、これだっ! って、衝動的に入学を決意しました(笑)」。
とはいえ、トリマーになろうと思ったわけではなく、高校時代に夢見た獣医師の、サポート役である獣医看護師を目指そうと思ったのだとか。
「でも、あいにく看護科は定員いっぱい。じゃぁ、トリミングでも学んでみようかなって(笑)」。
そう、偶然が重なって、明子さんはトリミングを学び始めたのです。
犬が、私を飼い主に選んだ!?
トリミングスクール卒業後は、社会人向けトリミングスクールの講師を経て、ブリーダーの犬舎に就職したそうです。
「犬舎の犬のトリミングを主に担当していました。そうしたら、いつも私の足元にいる2歳のメスのミニチュア・ダックスフントがいたんです。移動すると必ずついてきて(笑)」。
約1年後、犬舎を退職するときに「明子さんが辞めっちゃったらララがすごく悲しむんじゃない? 一緒に連れて行っていいよ」と言われたという、明子さん。
その提案にかなり驚いたそうですが、それがララちゃんのために最良だと確かに思った明子さんは、予想していなかった犬との暮らしを東京でスタートさせました。
「だって、私がララに飼い主として選ばれたんだし。よし、いつまでもどこまでもついておいで! ってね」と、明子さんは笑います。
新しく勤めた会社では、明子さんは新規参入する香港店のトリミングサロンのトリマーとして選抜されました。
「ちょうど戌年で、香港でも犬ブームに火が付いたばかり。当時は日本企業から派遣される現地の日本人トリマーは私ひとりだったみたいで、香港の犬メディアにも何度か取材をされたりしましたよ」とのことですが、「英語もほとんど話せない状態で、トランクひとつとララが入ったクレートだけつを持って、会社が用意した家具も家電もほとんどない寮にたどり着いたときの気持ちは忘れられません」と、明子さんは当時の不安な気持ちを振り返ります。
「ララがいてくれたから、香港で働く勇気も湧きました。でも、逆にララがいないと心細くて。もちろんトリミングサロンへは一緒に通い、帰宅途中にもほとんどのところにララと一緒に入りました。キャリーバッグ内のララは本当におとなしくて、誰も犬がバッグに入っているとは気づいていませんでしたね」と、明子さん。
ララちゃんのおかげで、香港でのひとり暮らしはさびしくなかったそうです。
ところが、ある日、帰宅した明子さんはララちゃんの様子がヘロヘロでおかしいことに気づきました。「頭痛用の鎮痛剤を1箱分、誤飲していたんです。ララァァァァーって、絶叫しましたね。駆け込んだ24時間OKのペットクリニックに到着したララは、なんというか完全にラリッている感じで、獣医さんからは『今夜が山です』とも言われ、私は待合室で半狂乱になっていました」。
けれども、病院でも驚異的な復活と言われてララちゃんは4日後に退院。
明子さんが心底ほっとしたのは、言うまでもありません。
愛犬が香港で出産
ほとんど吠えることもなくフレンドリーな性格のララちゃんは、香港で誰にでも愛されたとか。
「ぜひ、ララちゃんの子犬が欲しい」とサロンのスタッフに懇願され、明子さんはブリーダーの犬舎で繁殖に関する知識と経験を積んだこともあり、被毛のカラーの掛け合わせなど、相手のオスに遺伝的な問題がないことも確認して了承しました。
そして、メス2頭、オス3頭が誕生。
「もらい手はすでに決まっていたのですが、ネネと名付けたメスを私の手元に残すことにしました。だって、かわいくて仕方がなくて(笑)」と、明子さん。
ララちゃんは子育て中、なんと台所のストックをあさり、1玉近いタマネギを食べてしまったこともあったとか。
「もちろん、再度の入院。救急動物病院では『え? また来たの?』というような顔をされましたね。血尿は出るし心配で仕方なかったですが、1週間の入院の末、元気に。5頭の子犬との生活はゆっくりできず、ララにとってはストレスだったのかもしれません。2人の息子を育てながら仕事もしている今になって、私もやっと当時のララの気持ちがわかったかも……」と、明子さんは語ります。
膀胱がんの闘病生活
香港では離乳前の捨て猫を引き取り、ミルクをあげながら育てもした、明子さん。
結局、3年半の香港生活を経て帰国したのち、ララちゃんとネネちゃんと猫のルルちゃんを伴って東京や秋田など各地を転々として、栄作さんと結婚後は千葉県柏市に落ち着きました。
栄作さんが飼っていたジャーマン・シェパードの燦くんとも仲良くなり、さらには、明子さんが2人の息子さんを出産し、一気ににぎやかになった細野家でも、ララちゃんは明子さんの頼もしいパートナーのような存在なのだそう。
「ところが昨年、ララの膀胱がんが発覚したんです。がんは進行していたため、余命は半年ほどだと告げられて、頭が真っ白になりました」という明子さんですが、個々のもともとの生命エネルギーの波動を整えて自然治癒力を引き出す“バイオレゾナンス療法”を行っている獣医師との交流もあり、近くで同じ治療法をしてくれる動物病院のお世話になることに。その先生のもとで、オゾン療法、ホメオパシー、漢方などをララちゃんのために継続させているそうです。
「そうしたら、余命の半年を元気に乗り越え、なんとがんが少し小さくなったんですよ。ララにはこの免疫療法がマッチしたようで、本当によかった」と、明子さんは声を潤ませます。
がん発覚から1年が過ぎたララちゃんは、これまでどおり明子さんの足元で穏やかに寝そべっているとか。
「愛犬のがんの治療でも、私の仕事であるトリミングでも、犬たちに苦しい思いはさせたくない。穏やかに心地よく、いい方向へ導きたいんです」と、明子さんはララちゃんの頭を撫でながら、「それにしても、ララと私の歴史は長いですね。途中は“肌身離さず”って感じでしたし(笑)。私を選んで頼ってきてくれたララに、逆にすごく支えられたなぁ~ってつくづく感じます」と、あたたかいまなざしを16歳のララちゃんに注ぎ続けていました。
連載情報
ペットと一緒に
ペットにまつわる様々な雑学やエピソードを紹介していきます!
著者:臼井京音
ドッグライターとして20年以上、日本や世界の犬事情を取材。小学生時代からの愛読誌『愛犬の友』をはじめ、新聞、週刊誌、書籍、ペット専門誌、Web媒体等で執筆活動を行う。30歳を過ぎてオーストラリアで犬の行動カウンセリングを学び、2007~2017年まで東京都中央区で「犬の幼稚園Urban Paws」も運営。主な著書は『室内犬の気持ちがわかる本』、タイの小島の犬のモノクロ写真集『うみいぬ』。かつてはヨークシャー・テリア、現在はノーリッチ・テリア2頭と暮らす。東京都中央区の動物との共生推進員。