【ペットと一緒に vol.76】
殺処分されるような不幸な犬を減らしたい。そう少女時代から願っていた大久保羽純さんは、稼いだお金を動物愛護のために寄付するという道を一度は選びますが、高給取りから出張ドッグトレーナーに転身。迎えた保護犬との予想外な生活を経て、笑顔の毎日を過ごせるようになるまでの軌跡を追います。
路上で肩を寄せ合った野良犬と野良猫
大久保羽純さんと動物たちが心を通わすようになったのは、小学校の頃からだったと言います。それは、大久保さんが育った東京都江東区の野良犬や野良猫でした。
「実は両親との関係があまり良好ではなく、夜になると、両親とは顔を合わせたくないという思いから屋外で過ごしていたんです。そんな時、ずっとベンチに座り続ける私のそばに寄り添ってくれたのは、同じように屋外で過ごしている犬や猫でした」と言う大久保さん。当時は動物たちが心の拠り所だったとも語ります。
「今は私にも愛犬がいますが、小学校から中学時代までの“夜間路上生活者”のような私にとっての犬や猫は、今とは違う感覚で付き合ってましたね。護ったり護られたりという間柄ではなく、ただただ一緒にいてくれて、心が通じ合えた気分になれる、フラットな関係の仲間という感じでした」とも振り返ります。
弱い立場に置かれている子どもや人や動物を、救えるような大人になりたい! そう望んでいた大久保さんでしたが、家庭の事情で獣医学部は諦め、普通の大学に進学。
「アルバイトに明け暮れ、多忙な学生生活を送りました。卒業後は、大手製薬会社のMR(営業職)に。結果と数字を残してナンボの世界で、ガツガツと闘っていましたね」とのこと。
全国のサラリーマンの平均年収よりも高い給与を得ていた大久保さんでしたが、「どこか心がカスカスな感じ」だったそうです。
そんな生活を5年ほど続けたある時、大久保さんの目にふと、犬や猫の殺処分の現状を伝えるニュースが飛び込んできたと言います。
「それを見て、やっぱり私は幼い頃から仲間として過ごした、犬や猫を救いたい! と、頭の片隅に追いやっていた思いが急に出てきたんです」。
それが、大久保さんにとって大きな転機となりました。
退職してニュージーランドへ
そこで大久保さんは動物愛護団体のボランティアになろうと、ドッグトレーナーの養成スクールに通い始めました。
「当時はフェレットとデグーと亀と暮らしていましたが、犬を飼った経験はないため、ボランティアとして役に立つためにはドッグトレーニングの知識が必要だと思ったんです」。
スクールに通い始めて3カ月が経った頃、大久保さんは会社を退職。
「母子分離がうまくできていないと、人間でも犬でも、不安を抱きやすい性質が形成されると言われます。親から愛されたという感覚がないと、自己肯定感が低くて不安になってしまうんですよね。まさに、私がそうで……。会社を辞める前後はネガティブな思考で脳内が占められていて、過食と嘔吐を繰り返したりして精神的にも不安定だったと思います」。
そこで打開策を見出そうと、大久保さんは海外行きを決意。スクールの半年間のカリキュラムを終えると、ニュージーランドに渡りました。目的は、世界的な動物愛護団体の一員であるSPCA Aucklandでアニマルシェルターについて学ぶため。
「ところが、英語もろくに話せず、トレーナーとしての経験もない私は、猫のお世話担当に。英語を勉強しながら頑張ってヤル気を示すと、だんだん信用してもらえて、犬にも触らせてもらえるようにもなったんです。SPCAでの1年の経験はかけがえのないものでした」(大久保さん)。
ニュージーランドでは、のちに夫となるボーイフレンドとの出会いもあったそうです。
「生まれて初めて、私の“味方”だと信頼できる家族ができて、安心感を得られましたね。おかげで、困っている飼い主さんや犬たちを救えるようなドッグトレーナーになろうと、とても前向きにもなりました」と微笑む大久保さんに、帰国後、さらなる転機が訪れたとか。
「なんとも規格外なジャック・ラッセル・テリアが、我が家にやってきてしまったんですよ」。
やってきたのは、地蔵のような保護犬
大久保さんがドッグトレーナーとして日本で活動を初めて2年ほどしてやってきたのは、繁殖場崩壊でレスキューされたジャック・ラッセル・テリアでした。推定1~2歳という小さなメスでしたが、歯がボロボロで口臭がひどく、シニア犬に思えたと言います。
「ジャックといえば、小型犬の中で最強と名高いパワーとエネルギーを備えた犬種。なのに我が家にやってきたぺろは、まるで地蔵のよう。壁の端にくっついて暗い顔をしているんです。首輪もリードも無理で、外に連れ出しても1歩も動かない。ゴハンも食べない……。想像していた大変さとは真逆の、規格外なジャックだったんです」。
そこで大久保さんは、毎日、ぺろちゃんとの添い寝に多くの時間を費やしました。
ぺろちゃんがだんだんと大久保さんに心を許して来たと思えたタイミングで、ようやく散歩へ。
「無理強いをさせたくないので、ぺろのペースに合わせました。1時間かかって1歩だけしか動かないことも。でも、それでよし! 1カ月で5歩進めるようになるのを目標にトレーニングをしました」とのこと。
ぺろちゃんのおかげで、トレーナーとしての自信もついたそうです。
「自分で実際にやってみて成功したからこそ、自信を得られました。そんな私のトレーニングスタンスは“ゆっくりやれば、大丈夫!”です。ガツガツしていた営業マン時代の私には言えない言葉ですね」と、大久保さんは笑います。
愛犬が教えてくれた、たくさんのこと
「“ゆっくり”というのは、保護犬との暮らしにおいてキーワードになると思います。ぺろのように健康状態も悪く臆病な保護っ子を迎えたら、きっと、過去にどんなつらいことがあったのかと飼い主さんの妄想もマックスに働き、『早く、楽にしてあげたい。早く、この子の本来の姿を取り戻してあげたい』と焦ってしまうかもしれません。私もそうでした。要は、迎えた保護犬への愛とエネルギーが重すぎたんですよね(笑)。それに気づいた私は途中から、3年位かけてゆっくりやろうと、自分に言い聞かせるようになりました」(大久保さん)。
こうして、つらい過去への妄想の原因ともなっていた、子宮蓄膿症や尿路結石や歯の治療もぺろちゃんに行いながら、大久保さんはぺろちゃんが少しずつ環境に慣れていって怖いものが減るように、飼い主としてもトレーナーとしても、ぺろちゃんのペースに合わせて歩んでいったのです。
そんな大久保さんは、ぺろちゃんから様々なことを教えてもらったそうです。
「ジャックを迎えたら、自分のトレーナーとしての幅を広げるためにも、アジリティーやディスクを教えて一緒にチャレンジしようと、都合良くイメージしていましたね。でも、ぺろはそういう競技ができる状態ではなかったんです。今、この場でぺろやその犬ができること。それを受け止めることが重要なのだと気づきました」。
もうひとつ、大久保さんは大切なことをぺろちゃんから学んだと言います。
「“待つ”というのが、相手へのひとつの愛の形になるということです。保護犬って、愛情がゆっくり返ってくる気がするんですよね。ぺろが来て5年目の今、ぺろは家族になじんで、自然と心を通わせられる“ただの犬”になりました」。
それは、大久保さんが幼少期にお互いが心地よい距離感で寄り添いながら、野良犬や野良猫と交わしていた、大久保さんの原点とも言える感覚に近いのかもしれません。
「これから少しずつ、ぺろとの初めてを増やしていきたいな。今年は一緒にキャンプに行って、カヤックで海にでることにも挑戦したいと思っています」と、ぺろちゃんをやさしい眼差しで見つめる大久保さん。
今後もゆるやかに、ぺろちゃんとのかけがえのない“初めて”を経験しながら、家族の楽しい思い出が増えていくことでしょう。
お問い合わせ先:
大久保羽純さん主催
PERRO株式会社
SUNNY Dog Training Partner
http://perroinc.com
連載情報
ペットと一緒に
ペットにまつわる様々な雑学やエピソードを紹介していきます!
著者:臼井京音
ドッグライターとして20年以上、日本や世界の犬事情を取材。小学生時代からの愛読誌『愛犬の友』をはじめ、新聞、週刊誌、書籍、ペット専門誌、Web媒体等で執筆活動を行う。30歳を過ぎてオーストラリアで犬の行動カウンセリングを学び、2007~2017年まで東京都中央区で「犬の幼稚園Urban Paws」も運営。主な著書は『室内犬の気持ちがわかる本』、タイの小島の犬のモノクロ写真集『うみいぬ』。かつてはヨークシャー・テリア、現在はノーリッチ・テリア2頭と暮らす。東京都中央区の動物との共生推進員。