地元を青ネギの産地へ~新たな特産品「幸福ネギ」の栽培を始めた男性のストーリー

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番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】

きょうは、いったん就職しながら、実家に戻って農業を始め、地元を青ネギの産地にする事業をスタートさせた男性のグッとストーリーです。

福井県小浜市の若狭地区。自然に恵まれたこの土地で、おととしから新たに青ネギの生産が始まりました。その名も「幸福(しあわせ)ネギ」

人情も豊かで住みやすい福井県は「47都道府県・幸福度ランキング」でずっとトップを守っていますが、そんな温かい土地柄を反映した、辛味を抑えて減農薬で食べやすい「幸福ネギ」は、全国から引き合いも増え、いまや若狭地区の新たな名物になりつつあります。
その「幸福ネギ」の生産を中心になって手掛けているのが、辻直也さん・31歳。

地元を青ネギの産地へ~新たな特産品「幸福ネギ」の栽培を始めた男性のストーリー

「幸福(しあわせ)ねぎ」の栽培を営む 辻直也 さん

「実は私、農家になる気はまったくなかったんです」と言う直也さん。お父さんの正人さんは菊の栽培農家で、いまもビニールハウスで菊作りを続けていますが、豪雪地帯として知られる若狭では、冬の間、大雪でハウスが倒れてしまう危険があり、また台風にもよく見舞われるため、そのたびにハウスの近くで寝泊まりする厳しい生活が続きます。

「ずっと菊に付きっきりの父を見て育ったので、自分はそんな生活はご免だと思ったんです」と言う直也さんは長男でしたが、岐阜の短大に進んで、自動車整備士の資格を取得。卒業後は地元に戻りましたが、農家は継がず、ガソリンスタンドに就職しました。
7年前に結婚して2人の子どもをもうけましたが、24時間営業の店だったので、多忙さから日々、職場でグチをこぼすようになり、職場の人間関係にも悩むように……。

「そんな自分にだんだん嫌気がさして来て、このままでは成長がないと思ったんです」
そんなとき頭に浮かんだのが、菊作りに情熱を注ぐお父さんのことでした。

台風にビニールハウスを押し潰されて菊が全滅しても、再びハウスを再建。最高の品質の菊を作ることに情熱を注いで来た正人さん。そんな父親のことが子どもの頃は理解できませんでしたが、いつしか自分も、父と同じ道を歩もう、と思うようになっていたのです。

地元を青ネギの産地へ~新たな特産品「幸福ネギ」の栽培を始めた男性のストーリー

直也さんが管理するビニールハウス

直也さんは、お父さんの菊作りを4年間手伝って修行。ちょうど若狭地区のJAで新たな特産品を作ろうという動きがあり、おととし5月、お父さんのハウスの横に新たなハウス14棟を建て、隣近所の農家3軒と一緒に、水耕栽培による「幸福ネギ」の栽培を始めました。

長さが70センチほどある青ネギは、味はもちろんですが、見栄えも大事。じゅうぶん日光にあてて換気にも気を配らないと、太くて強いネギはできません。しかも年中、決まった量を出荷しないといけないので、1年間ずっと気が抜けない日々が続きます。

「青ネギは、てっぺんから根っこまですべてが商品なので、短すぎても長すぎてもダメ。出荷日にちょうどいい長さになるように、逆算して育てないといけないんです」

地元を青ネギの産地へ~新たな特産品「幸福ネギ」の栽培を始めた男性のストーリー

「青ネギはてっぺんから根っこまですべてが商品」と直也さんは語る

栽培を始めて1年目の冬、ネギの長さが足りず、出荷できなかったことがありました。さらに去年は強力な台風でハウスの鉄骨が折れ、一部が倒壊する被害に見舞われたことも……。
臨時のビニールシートを貼って、半壊したハウスで、くじけずにネギを作り続けた直也さん。壊れたハウスは、今年4月に復旧。1本1本、手塩に掛けて育てている「幸福ネギ」は評判を呼び、大手スーパーや回転寿司チェーンからも、大口の注文が来るようになりました。直也さんは言います。

「子どもの頃は、父の姿を見て『なんでそんなに辛い思いをしてまで農業をやっているんだろう?』と思っていましたが、いまは父の気持ちがよく分かります。『幸福ネギ』を若狭特産のブランドネギにして、農業を志す若い人たちがもっと増えるように、頑張っていきたいですね」

八木亜希子 LOVE&MELODY
FM93AM1242ニッポン放送 土曜 8:00-10:50

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